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復活後第4主日礼拝 説教「悪魔の誘惑」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2021年4月25日
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マタイによる福音書 第4章1節~4節
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「悪魔の誘惑」 要約
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① 悪魔って本当にいるのですか? |
何年か前の事です。ある一人の高校生が、「悪魔払いをしてほしい」と言ってやってきました。聖書の話をしたら、「わかりました」と言って、喜んで帰って行きました。ところで、本当に悪魔は存在するのでしょうか?旧約聖書にも悪魔という言葉は出てきますが、天使の一種で、神様の許可を得て、人を苦しめたり、訴えたりする係でした。が、キリストが生まれた頃には、二元論の影響を受けて<神様に敵対する勢力>と考えられるようになっていました。病気など人間を苦しめるものを悪魔(サタン)のしわざと考え、恐れられてきましたが、キリストの前には全く無力でした。科学の進歩した今日、病気が悪魔のしわざとは誰も考えません。それどころか、人間の方が恐い存在になりました。グルメに明け暮れしている人間がいるかと思えば、5歳以下の子供だけで一時間に1500人の割で餓死している地域があります。今地球上には、全地球人を何十回も殺せる核兵器があります。悪魔の方が人間のする事を恐れているのではないでしょうか。 |
② 聖書がいう悪魔とはどんな存在? |
聖書が言う悪魔は、人間にとって本当に大事なものを見えなくしようとする存在です。40日間も断食していたイエス様は、人間として弱い者として荒野にいました。「石をパンに変えたらどうだ」という言葉は、とても魅力的なものです。イエス様も、多くの貧困にあえぐ民衆を見ながら「日用の糧を今日も与えたまえ」とお祈りされる方です。パンが人の命を救うためにどれだけ大事なものであるかを知っている方です。が、イエス様は、一瞬にして石をパンに変える、手品のような事をなさろうとはしませんでした。もしかしたら、石がパンに変われば、貧困にあえぐ人たちの命も救われるかも知れません。が、神様が求めている事は、そんな手品を使う事ではないことをイエス様は知っておられました。神様が求めている事は、人と人とが共に生きようとする心、支え合う心なのです。その心を大切にする事なく、手品をする事は出来ないと、イエス様は悪魔の言葉を拒否しました。神の口から出る一つ一つの言葉、神様の御心が大事なことなのです。 |
③ 悪魔の誘惑 |
また悪魔は言いました。「本当に神様が守ってくださるというなら、高い屋根から飛び降りたらどうか。天使が守ってくれるはずだ」と。イエス様は「神様を試してはならない」と答えました。またまた悪魔は言いました。「この世界がほしければ、わたしを拝むがいい」と。イエス様は「ただ神様に仕え、神様だけを拝め」と答えました。イエス様は悪魔の声にではなく、いつも神様の言葉に聴き従われました。私たちが生きている世界、私たちが生きている場所にも私たちを惑わそうとするものがあります。それは私たちにとって魅力的なものかもしれません。けれども、本当に大事なものはどのようなものか、本当に大切なものは何か、よく祈って、よく考えて、よく行動しなければなりません。本当に大事なものは、多くはないのです。神様に向かい合い祈りながら考えること、目に見えるものではなく、見えないものに目を注ぐことが大切です。イエス様は悪魔の声にではなく、いつも神様のお言葉に聴き従ったように、私たちも、悪魔の声にではなく、いつも神様のお言葉に聴き従って参りましょう!悪魔の誘惑がどんなに魅力的であったとしても、毅然とした態度で、悪魔の誘惑をはねのけていく勇気を持って主に従って参りましょう! |
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