印刷用PDF |
復活後第2主日礼拝 説教「イエス様の物語」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2021年4月11日
|
マタイによる福音書 第1章1節、16~17節
|
|
「イエス様の物語」 要約
|
① イエス・キリストの系図 |
新約聖書の最初のページ、マタイによる福音書1章1節には「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」という言葉があります。系図というのは、自分のお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、もっと前の先祖たち、そして自分の子供、孫などが書いてある表の事です。この系図には、イエス様は、イスラエルの人たちが最も大事にしている祖先、アブラハム、そしてダビデの子孫だったという事が書いてあります。イスラエルの人たちは昔、バビロニアという国に戦争で負けて、バビロニアに連れて行かれました。やがてバビロニアから解放されましたが、その後も、ペルシァ、エジプト、アッシリア、ローマという国々が次々やって来て、イスラエルの人たちの自由を奪いましたから、彼らはいつも、苦しみ、悲しみの中にありました。彼らは「神様、私たちに救い主を遣わして下さい」と祈り続けました。この祈りに応えて下さった神様は、ご自分の大事な子どものイエス様を、この地上に送り出す事をお決めになったのです。 |
② 系図の中に、四人の女性の名前 |
第一は「タマル」。彼女は不倫なことをした女性です(創世記38:18)。次は「ラハブ」。彼女は正真正銘の遊女です(ヨシュア6:25)。次に「ルツ」は貞淑な女性でしたが異邦人です(ルツ記)。ユダヤ人にとっては救われないとされた異邦人が、イエスの系図の中に入れられています。最後はウリヤの妻バト・シェバですが、この女性も夫の留守中に姦淫の罪を犯しました(サムエル下11:4)。そういう女性をなぜ入れているのでしょうか。それはイエス・キリストによって、罪ある者も、数に入れられない者も皆、数の中に入れられるようになったという福音が語られているのです。という事は、私たちはイエス・キリストの系図の中に入れられているという事です。系図の中に入れられている限りは、大きな責任と名誉とを神様からいただいているのです。神様は、神様の栄光のために私たちを有益な者として用いられるのです。今日この時代に、用いようとしてくださる神様のゆえに、私たちは自分を大切にし、自分を見つめて生きていく必要があると思います。。 |
③ イエス様の物語 |
神様は、その救い主「イエス・キリスト」という方をイスラエルの民だけにではなく、今この時代に生きる私たちにも、お与え下さっているのです。イエス様は一つの家だけではなく、一つの国だけではなく、すべての人を救う「救い主」として私たちに与えられているのです。聖書は、イエス様の時代の人々の事を、「飼い主のいない羊のような有様」だったと言っています。誰も守ってくれる人がいなかったのです。イエス様は、「飼い主のいない羊のような」人々に自由を与えるために、生きる希望を与えるために、この地上に、来て下さったのでした。そして今もイエス様は私たちと一緒に生きて下さっているのです。福音書は、この系図の後に、苦しむ人、悲しむ人たちの所に向かっていったという「イエス様の物語」を書いています。イエス様が何をなさったのか、イエス様が何を話されたのか、という「イエス様の物語」が始まるのです。マタイによる福音書の著者は、冒頭でこのイスラエルの歴史を描き、ようやく自分たちが望んでいた救い主が到来したことを描きます。そして、全く新しい王である「イエス様の物語」を伝えていきます。私たちも、その「イエス様の物語」に耳を傾けながら、イエス様と出会っていきたいと思います。 |
|