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受難節第3主日礼拝 説教「本当に大切なこと」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2021年3月7日
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マタイによる福音書 第16章13節~28節
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「本当に大切なこと」 要約
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① 天主(ゼウス)の御大切(ごたいせつ) |
今から約五百年前キリスト教が初めて日本に宣教師たちによって入ってきました。宣教師たちは言葉の厚い壁にぶつかりました。日本語は宣教師たちにとって大層難しいものでした。彼らが一番伝えたかったのは何かというと、「神は愛である」という事でしたが、その「神」という言葉は、当時“八百万の神々”を表す恐れがあった為、神というラテン語をそのまま使ってゼウス。それに“天のあるじ”と書いて「天主」という言葉を当てはめて使いました。「天のお父様」です。そして「愛」という言葉がやはり当時の日本になかったので、代わりに“大切にする”の大切に、丁寧語の御をつけて「御大切」という言葉を使ったという事が辞書に載っています。身分階級の厳しかった時代、男尊女卑という風潮が強かった時に、それらに関わりなく「人間一人一人は神のご大切ですよ」、封建制度の中で、若い人が軽んじられ、また弱い者が蔑まれていた時に、年齢や体の弱い強いに関係なく、人間一人一人は皆、ゼウスの御大切ですよ、と伝えたかったのです。 |
② 大切なことは、目に見えない |
宣教師が一番伝えたかった神の愛は、「その独り子を愛するほど」であり、主イエスは私たちのために十字架にかかって命を捨てて下さいました。そのことによって、私たちは愛を知りました。財産や健康や…そういうものに関わりなく皆、神の愛を受けています。「心を受ける」と書いて「愛」ですね。どうぞ自分自身を大切にして下さい。一人一人は神が愛しておられる尊くかけがえない存在です。愛するという事は、週刊誌やマンガやTVで使っているような、そういう軽く甘い、はかないものでなく、愛するという事は相手に価値を見出していく事です。サンテクジュペリという人が『星の王子さま』の中で語っています。「大切なものは目に見えない。肝心な事は心の目で見ないと見えないよ」と。幼い子供たちに神様の話をしますと、今の子供たちは「在るものは見える。見えるものはTVに出る」という感覚をもっていますから、こう言うのです「神様がいらっしゃるなら、どうしてTVに出ないの?」。難しい質問です。あなたなら、どう答えますか? |
③ 本当に大切なこと |
主イエスは弟子たちに「人々は私のことを何と言っているか」と問い、弟子たちは「洗礼者ヨハネ」「エリヤ」「エレミヤ」など多くの預言者の名を挙げました。がペトロは「あなたはメシア(救い主)、生ける神の子です」と答えて主イエスにほめられました。ところが主イエスが続けて「私は私を憎む人から苦しみを受けて殺され、三日目に復活するのだよ」と話されたので、驚いたペトロは、「イエス様、何という事をおっしゃるのですか。そんな事があってはなりません」と強く言い返しました。でも主イエスは、ペトロをお叱りになり、苦しみを受けても、主イエスは神の愛に包まれて、天使たちと共に私たちを救うために再び来られると約束したのです。サタンと言われた時、驚いた事でしょう。ペトロは少し前に模範解答をしてほめられたばかりなのに…。でも、それはペトロが周りの人たちの事ばかりを気にしていたからです。神の愛は人間の罪を代わりに負って罰せられる事によって人々の罪を赦すためです。でも、それで終わりではありません。三日目に主イエスを復活させて下さるのです。主イエスが救い主だと示すためです。主が私たちの罪を代わりに負って下さった救い主だということを信じる事が本当に大切なことなのです。 |
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