主日礼拝 説教抄録  2020年度
    
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     受難節第1主日礼拝 説教「誘惑に負けないように」

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2021年2月21日

 マタイによる福音書 第4章1節~11節

「誘惑に負けないように」 要約
① 聖書を知る
 主イエスは、洗礼を受けてすぐに悪魔の誘惑を受けました。「“霊”に導かれて」と1節にあります。主イエスは、「聖霊」によって荒れ野に導かれました。つまり、主イエスが悪魔の誘惑を受けることは神の意思でした。主イエスは、その働きを始める前に、神の意図の下で悪魔の誘惑を受け、そして勝利するのです。1節の「悪魔」は、3節では「誘惑する者」と言われています。その誘惑する者によって、主イエスは三つの誘惑を受けます。荒れ野で石をパンに変える誘惑、神殿の屋根から飛び降りて奇跡を示す誘惑、そして悪魔に従うなら世界の繁栄をあげようと言われた誘惑です。悪魔の誘惑はそれぞれに魅力的です。飢えている者にとってパンはどんなにありがたい事でしょう。神殿の高い屋根から飛び降りる奇跡が可能なら、教会の伝道活動に有利に働くのではないでしょうか。世界の名声や権力を手に入れる事は、誰にとっても夢のような話です。この悪魔の三つの誘惑を、主イエスは聖書の言葉を引用して断固しりぞけ、悪魔に勝利しました。
聖句を思いめぐらす
 主イエスによって悪魔の支配が終わり、既に新しい世界が始まっています。が、悪魔の支配がすっかりなくなったのではなく、いまだ、戦いが終結したのではありません。悪魔は「一時イエスを離れた」(ルカ4:13、口語訳)とある通りです。苦しい戦いはまだ続きますが、キリスト者は主イエス・キリストに身を寄せて歩む者です。が現実には、いまだ、私たちは繰り返し誘惑に遭うのではないでしょうか。主は「主の祈り」の中で、「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください」(6:13)と祈る事を教えて下さいました。主は、私たちが、いまだ誘惑に弱い者である事を、よく承知しておられるのです。私たちが誘惑に屈しそうになる時は、主イエスも悪魔の誘惑を受けた事、そして勝利した事を思い起こしましょう。ヘブライ人への手紙4章15節にこうあります。「この大祭司(=主イエス・キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです」。
③ 誘惑に負けないように 
 主イエスは独りで祈るために、誰もいない荒れ野に行かれました。でもそこには悪魔がいて、イエスに声をかけました。悪魔はイエスに言いました。「おなかがすいているなら、そこにある石にパンになれと命じたらどうか」と。主は「人はパンだけで生きるのではない」(申命8:3)と答えました。また悪魔は言いました。「本当に神が守って下さるというなら、高い屋根から飛び降りたらどうか。天使が守ってくれるはずだ」(詩91:11-12)と。主は「神を試してはならない」と答えました。またまた悪魔は言いました。「この世界が欲しければ、私を拝むがいい」と。主は「ただ神に仕え、神だけを拝め」(申命5:6-7)と答えました。主イエスは悪魔の誘惑に負けませんでした。悪魔にではなく、いつも神の言葉に聴き従われました。受難節(レント)に入りました。悪魔と戦われたあの40日になぞらえて、私たちはこのレントを守るのです。悪魔は神の御心を求めなくてもいい、目に見えるもの、手に触れることが大事なのだよ、とささやいてくる事があります。私たちが生きている世界にも、私たちを誘惑する魅力的なものが沢山あります。でも本当に大切なものは目に見えないのです。神さまの御心を求めながら一日一日を大切に歩んでいきましょう。

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2021.2.20 by nk

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