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降誕節第8主日礼拝 説教「涙をぬぐい取って下さる」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2021年2月14日
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ヨハネの黙示録 第21章1節~4節
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「涙をぬぐい取って下さる」 要約
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① 聖書を知る |
黙示文学があらわれる時というのは、何でも自由に語ったり、自分の言おうとする事を直截に表現できない時であってそれは迫害の時です。当時(紀元1世紀の終わり頃)、教会はローマ皇帝ドミティアヌスによる激しい迫害に遭っていました。黙示録の著者ヨハネも迫害を受け、パトモス島に捕らわれています。そのヨハネが天使によって、「イエス・キリストの黙示」を示されます。「黙示」という言葉には、「示す」という意味を含んでいますが、神の側から一方的に示されるとか、隠されている神の救いの計画が主イエス・キリストによって明らかにされる、という事です。20章では「ゴグとマゴグ」の大群も、神によって滅亡させられたわけですが、21章では反対に、「聖なる都が…夫のために着飾った花嫁のように…天から下って来るのを見た」(2)とあります。キリスト教信仰が婚姻にたとえられる時、花婿はキリスト、花嫁は教会をあらわします。迫害の下で苦しめられている人々に、神の御心が完成する日は近い、と神の計画を告げているのです。 |
② 聖句を思いめぐらす |
争いと悪の絶えないこの世界が、いつまでも続くのではない、古い世界は「去って行く」。そして「海もなくなった」とあります。海は「混沌」の象徴です。天と地が新しくされるのです。新しい世界では「神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる」(3)のです。結婚によってその人を夫とし、その人を妻として一つになる世界、そこではもう一心同体であって離れることがない。そういう状態に神と人間がなると言っています。それが、キリスト教会が神からいただく最後の光栄である、と言っているのです。そして私たちクリスチャンの生かされる世界がそういうものであることが、ここで幻のうちに示されているのです。「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取って下さる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」(4)。人生は様々な涙の谷をくぐって行かなければなりません。誰も涙をぬぐってくれないと思う時、神が、人の目から涙をぬぐい取って下さると約束しておられます。 |
③ 涙をぬぐい取って下さる |
ゴードン・ジェンソンの詩。<なぜ涙が出てくるのか / 物事は思うような結果にならなかったが神はそばにお立ちになり / うちひしがれた魂の涙をご覧になり共に泣いて下さる /
涙は神のおわかりになる言葉 / 悲しみでいっぱいの時、重荷に耐えきれない時、涙を流せるのだ / 神はあなたを忘れない / 神の約束は変わらない / 涙は神がおわかりになる言葉>。
こんな話を聞きました。Aさんは美人で、聡明で、同志社大学工学部の宗教主任。皆の憧れの的でした。が夫を早く亡くし、たった一人の息子と母一人子一人の生活でした。その息子が16歳になった1月、自殺をしてしまいます。理由はわかりませんがAさんは自分を責め続けました。この世から光を失い、香りを失って、生きた心地がしない毎日を送っていたある時、ベランダの土が雪の下から盛り上がっているのを見ます。掘ってみるとクロッカスが一つ、黄色と紫のすじをつけて芽生えているではありませんか。Aさんはこれを見て、息子はかの地で生きていると確信しました。そして息子に手紙を書きます<母さんは もう少し、こちらの世界に残ります>と。
「今泣いている人々は幸いである」(ルカ6:21)。私たちの神は、涙をぬぐい取って下さる神です。 |
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