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降誕節第1主日礼拝 説教「命綱としての飼葉桶」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年12月27日
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ルカによる福音書2章1~20節
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「命綱としての飼葉桶」 要約
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① 主イエス・キリストの受難 |
イエスの誕生はベツレヘムでした。ガリラヤのナザレから住民登録のためにヨセフの町ベツレヘムへと旅したのでした。地図の上の直線距離で約120キロ、普通三日から四日の道のりです。あいにく宿屋には泊まる場所がなかったと聖書は記しています(ルカ2:1-7)。昔から沢山の人がその時の状況を聖画に描いてきました。色んな国から来るクリスマス・カードにはその時の状況がそれぞれのお国柄に合わせて描かれていますが、聖地の家はすべて石造りです。北のガリラヤは色の黒い玄武岩、南のユダは白い石灰岩です。四世紀からあるベツレヘムの聖誕教会内にイエス誕生の場所があります。ゴツゴツした岩穴です。当時の人たちは岩穴に住むのが普通でした。エルサレムのロックフェラー博物館に飼葉桶があります。木製ではなく白い石造りです。生まれたばかりの赤ん坊のイエスは、わら布団もない石の飼葉桶の中に寝かされたのでした。主イエス・キリストの受難は十字架を待つまでもなく、誕生の時から既に始まっていたという事になります。 |
② 飼葉桶の中の幼な子 |
イエス誕生は身分の低い「羊飼」に真っ先に告知されました。告知を受けた羊飼たちは、「飼葉桶の中に寝かしてある」(12)幼な子を探し当てるという仕方で《しるし》を確認します。そしてそれをマリアに伝えます。ここで、羊飼は、《高い世界につながる者》として位置づけられています。それに対しマリアは、《地上の低い者のイメージ》で描き出されています(1:38,48)。「マリア」は、人々に伝えられている事を、《低い所》で聞いて、思いめぐらしていました。この「いと高き所(栄光)」と「地の上では(平和)」の交差する所が、「飼葉桶の中の幼な子」であったのです。飼葉桶は《無力さのしるし》であり、緊張をはらんでいます。けれども、それは《安らぎのしるし》でありました。赤子にとってはギリギリの「命綱」であったのです。2020年コロナ禍の中にある私たちの日常は、「飼葉桶の中の幼な子」同様、厳しい緊張がありますが、クリスマスの出来事は、その中でのささやかな《安らぎ》であり、「命綱」ではないでしょうか。 |
③ 命綱としての飼葉桶 |
外典ヤコブ福音書に、「馬小屋に用いていた近くの洞窟で出産がなされた飼葉桶は、壁に吊り下げられていた」とあります。吊り下げられた飼葉桶は生まれたばかりの赤子が動物に蹴飛ばされ、あちこち動かされ、傷つけられる事から守られます。飼葉桶は赤子の命を守るための命綱でした。ヤコブは更に「イエスでさえ布に包まれる必要があった。イエスも赤子として必要なものを必要とした。当たり前の事を当たり前とした」と特記しています。幼な子イエスが飼葉桶の中に寝かされていた事は、不安と危険の避けられない只中での一つの小さな赤子を守るための配慮でありました。<貧しさと無力さのシンボル>と思える飼葉桶は、実に《神の愛》と《安らぎ》と《落ち着き》の「しるし」でありました。そういう仕方で救い主である神の御子は、私たちの所に来られたのです。私たちがどんなに生き詰まり、苦しみの中にあっても、愛であられる神は、ささやかな賜物でありますが「命綱としての飼葉桶」を御子に用意して下さったように、私たちにものがれ道を用意して下さいます。どんなに行き詰まり、悩み苦しみの中に置かれたとしても、神は、私たちに「命綱としての飼葉桶」を用意して下さいます。信じてご一緒して参りましょう!
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