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アドヴェント第二主日礼拝 説教「呼ばわる声」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年12月6日
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ヨハネによる福音書1章19~28節
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「呼ばわる声」 要約
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① 待降節の登場人物 |
待降節は二人の人物を中心として動いています。主の母マリアと洗礼者ヨハネです。マタイとルカの両福音書は不思議な降誕物語とともに多くの紙数をマリアのためにさいていますが、マルコとヨハネの両福音書は全くマリアを無視しています。が、洗礼者ヨハネについては、四つの福音書は全部、それぞれ相当の紙数を、彼の誕生、風貌、厳しい悔い改めを迫る説教、それから彼の死を伝えるために用いています。主イエスは「女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない」(ルカ7:28)と彼を評しておられますが、彼は自分自身をどう考えていたのでしょうか。ヨハネ1:19以下にはエルサレムから派遣された祭司やレビ人が「あなたは誰なのか」と問うた時、ヨハネはイザヤの言葉をひいて「主の道をまっすぐにせよと呼ばわる者の声」であると答えています。「声」とは音波となって空気中を進みますが、メッセージを伝えると消えていくものです。大名行列の先触れが「下に、下に」と声をかけながら前を進む、そのような存在だというのです。 |
② 洗礼者ヨハネの“あかし” |
ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司やレビ人たちをヨハネのもとに派遣して、「あなたはだれか」と尋ねさせた。ヨハネは告白して否まず、「わたしはメシアではない」と告白した。そこで彼らは、「それではなにか、あなたはエリヤか」と尋ねると、ヨハネは、「そうではない」と言った。「あなたはあの預言者か」と尋ねると、「いや」と彼は答えた。そこで彼らは言った、「あなたはだれか。わたしたちを派遣した人たちに返答するためですが、「あなたは自分をなにだと言うのか」。彼は言った、「預言者イザヤが言ったように、わたしは、『主の道をまっすぐにせよと荒野で叫ぶ声』である」。彼らは尋ねて言った、「あなたはメシアでも、エリヤでも、あの預言者でもないのなら、なぜバプテスマを授けるのか」。ヨハネは答えて言った、「わたしは水でバプテスマを授けるが、あなたたちの真中に、あなたたちの知らないかたが立っている。その人はわたしのあとから来るかたで、わたしはそのくつのひもを解く値打ちもない」。(私訳) |
③ 呼ばわる声 |
ヨハネは荒野で呼ばわる声です。荒野は旧約聖書において不毛の人なき地であり、荒廃の比喩として用いられるも、預言者にとっては神に出会う場であり、何よりも出エジプト後イスラエルが40年間さすらった場であり、神のほか助けと支えのない場です。主の道は肉体となったロゴスとしてのイエスの道です。神のもとから世に到来し、世において奇跡やしるしを行ない、人々をいやし、助け、愛しつくして、苦難と十字架の道を歩み、神のもとへ帰っていく。それは同時に、世に救いをもたらす者として栄光の道です。ヨハネは「主(イエス)の道をまっすぐにせよ」と荒野で叫ぶ声でした。今コロナ禍の中で、不安と虚無の暗い荒野状態にあります。誰もが喜びと望みの時を待ち望んでいます。荒野は、すべての存在の根源であり救いである永遠のロゴスとしての主イエスに出会う場です。ヨハネのように「呼ばわる声」になりましょう!勇気を出し、クリスマスの喜びを伝えましょう!私たちの声は、いくら呼んでも叫んでも、耳をふさいで聞かないでいる事もできる無力な声にすぎないかも知れません。が、声を聞いて受け入れ、信じる人たちの群れの中に、ヨハネが経験したと同じ新しい喜びと望みの叫びと讃美が起こるでしょう!
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