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収穫感謝日・謝恩日礼拝 説教「闇に輝く光」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年11月22日
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ヨハネによる福音書1章1~13節
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「闇に輝く光」 要約
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① 初めに 言(ロゴス)が おられた |
ヨハネ福音書の著者は、「命の光の言葉」を「初めに言があった」と説き始めます。新共同訳は現代の日本人に通じるようにと言ってなされた翻訳ですが、この最初に記されている言葉というのは「言」という字だけを書いて<ことば>と読ませるのです。現代の日本語としてあまり通用するものではありませんが、こうしないわけにはいかなかった。翻訳者たちが一番悩んだのは、「言葉」という用語をここに用いて福音書が語ろうとする真意が伝わるだとうかという事でした。ギリシャ語の原語ロゴスの意味は、私たちが使う言葉のような薄っぺらなものではありません。言葉の葉の字が無くなる。つまり葉っぱのような薄っぺらなものではない。葉っぱのように風が吹けばいっぺんに飛ぶようなものではない。聖書の言葉自体がそうです。<行いそのもの>です。有名なゲーテの劇詩『ファウスト』の最初に、博士ファウストがこのヨハネのテキストを前にして、どう訳したらよいか悩む所があります。結果「行いの中にある言葉」と言い換えたのでした。 |
② この方に 命があった |
ヨハネの「ロゴス」は「イエス・キリスト」のことです。ロゴスとは、キリストの称号です。ロゴスはユダヤ教の知恵文学からギリシャ哲学へという背景から、キリストの称号として、ヨハネが創造的に使い始めた、ヨハネ独特の専門用語です。そして3節には「すべてのものは、この方(キリスト)によって 造られた」とあります。ここでヨハネの心の中にあったと思われるものの一つは、教会的な意図です。旧約聖書においては、「ロゴス=ことば」とは、単なる言葉や思想ではなく、創造的な力を発揮する「いのち(ライフ)」であり、「知性
/ 知恵」であり、「人格」であり、更には、「永遠の命」という福音宣教的な思いがありました。神の子・救い主を伝えるため、相手が異邦人であったので、ヨハネは、「メシア」「キリスト」というユダヤ人の専門用語を避け、相手が良く理解できる、ギリシャ哲学(文化)的な「ロゴス」という言葉に置き換え、当時のローマ世界において、相手が良く理解できる言葉へと変換したのです。 |
③ 闇に輝く光 |
「この命は、人の光であった。光は暗闇の中に輝いている。そして暗闇はこれを消さなかった」。キリストが「まことの光」です。自ら光を発している恒星のようなものです。闇に輝く光です。続いて6-7節には、神から派遣されていたバプテスマのヨハネが現れます。彼は「闇に輝く光であるキリスト」について証言するため、すべての人が彼により信じるために派遣された人物です。9-10節「すべての人を照らす“まことの光”が世界に来ようとしていた。このお方は、この世界に、ずっとおられ、世界は、このお方によって造られたのに世界はこのお方を“知らなかった”。このお方は、自分の国に来られたのに、ご自分の民は、このお方を“受け入れなかった”」とあります。元のギリシャ語は「捕える」という言葉です。心で捕える、精神で捕える。つまり分かるという事です。ここではそういう意味で<闇には光が分からなかった>という事です。心で捕える事が出来なかった者、キリストを掴まえ損なってしまった者、そのため暗黒であり続けなければならなかった者となるのでなく、私たちは、「まことの光」なるキリストの光を反映しながら、闇から光に変えられましょう!光によって勝ちとられた者の歩みを、証しながら進みましょう!
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