主日礼拝 説教抄録  2020年度
    
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    世界聖餐日・世界宣教の日礼拝 説教「死と命」

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年10月4日

 ヨハネによる福音書12章1~11節

「死と命」 要約
① マリアの塗油の行為
 今朝は「ナルドの香油」の箇所です。プロレプシス(予期される事柄を予め予防線を張っておく修辞法)をヨハネは用いて、11章2節でマリアの塗油の行為を予め書いておき、この12章でベタニアのマリアによるイエスに対する信仰の表明である「ナルドの香油」の話になります。“足”に香油を塗るというのは異例です。王様に対しても、お客を歓迎して心から家族挙げて迎える時にも、行いません。彼女の行為の理由は7節で主イエスご自身によって明らかにされます。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから」と、主イエスの十字架上の死に言及しています。ユダヤの習慣にない行為。しかも、約1リトラ(巻末の度量表によれば約326g、5節のユダ゙の言葉によれば三百デナリオン)の香油をイエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐったのですから、驚きです。マリアの塗油の行為は<この方こそ私の主、わたしの救い主!>と究極の忠誠を捧げる大切な存在であるという事を示す信仰告白なのです。
「家は香油の香りでいっぱいになった」(3節)
 家(今風にいえば“教会”)は、芳しい香り(フレイグランス)でいっぱいになった。教会は、主イエスと父なる神に対する全幅の信頼で満ち溢れている、神と人に対する愛が満ち溢れている事が描写されています。それに対し、「死後四日も経っていますから、もう臭います」「そんな事をしても無駄です。もう腐っています」と主を拒む時、教会は芳しい香りと正反対のランク・オウドル(腐った香り)を放つと暗示しています。鼻をつくような嫌な臭い、それは有害です。私たちはよく奉仕するマルタと、静かにイエスの言葉を傾聴するマリア、という言い方をしますが、ヨハネは、もっと違った紹介の仕方をしています。マリアの行為から芳しい香り、愛情に溢れる愛、イエスをキリストと告白する、その行為を通して福音が拡がっていくというのです。マリアはイエスに究極の奉仕と愛を捧げました。心からの信仰告白を捧げたのでした。教会はフレイグランスで満ち溢れる所です。そのために私たちはマリアの心に見習いましょう。
③ 死と命  
 12章のテーマは「死と命」です。私たちは命を尊び、命を求めていますが、主イエスがまだ33歳の若さで命を断つ事においてラザロの復活があったのです。マリアは弟ラザロが死んだ時、もう一度生き返ってほしいとどんなに願った事でしょう。それを主は蘇らせて下さいました。が、イエスはその死を自分が引き受ける事において「ラザロよ、出てきなさい」と言ったのであって、無責任に言われたのではありません。マリアが高価なナルドの香油をイエスの足に塗ったのは、マリアの信仰<あなたは私たちのために命をお捨てになる方である>との告白でもありました。イスカリオテのユダがもったいない事をすると言ったのに対し、イエスは「彼女のするままにさせなさい。私の葬りの準備をしているのだから」と言われました。主イエスが死ななければ、私たちは永遠の命を与えられません。私たちの肉体はやがて死を迎え、私たちの肉体もまた臭いを放つ時がきます。が、主の命がこれを覆い、どこにあっても主と共に生き、主と共に死ぬことができる慰めが私たちを支えます。この恵みを深く感謝して、残された日々を愛に没頭して生かして頂きましょう!愛すべき者をいつも心にかける歩みである事ができますように祈りましょう。

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2020.10.3 by nk

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