主日礼拝 説教抄録  2020年度
    
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    聖霊降臨節第14主日礼拝 説教「良い羊飼いの絵」

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年8月30日

 ヨハネによる福音書10章22~30節

「良い羊飼いの絵」 要約
① 神殿奉献記念祭(宮きよめの祭り・光の祭り)
 ユダヤ教には仮庵祭とか過越祭等たくさんの祭りがありますが、神殿奉献と訳されている祭りは、ユダヤ人たちはハヌカーの祭りとして現在も大事に守っている祭りです。昔エルサレム神殿がソロモン王によって捧げられた。その神殿が一度バビロニアとの戦いで徹底的に壊された。これを再建した事を記念する祭りをしたのが由来です。新共同訳聖書には、旧約聖書続編つきというのがあって、その『マカバイ記一4章』に「神殿奉献祭物語」が記してあります。アンティオコス四世の乱暴な支配により神殿がゼウスを拝ませる場所となっていた時、マカバイ家のユダ(ユダス・マカベウス)が登場して神殿を取り戻した。今もスポーツの祭典で優勝者が出るとトロフィを渡す時、「見よ、勇士帰る」というメロディが奏されます。ヘンデルが作った「ユダス・マカべウス」に出てくる凱旋の音楽です。讃美歌の中にもイエスのエルサレム入城を記念した歌がこのメロディで歌われます。冬、雨季、暗い時、蝋燭8本に毎日一本ずつ火を灯す「光の祭り」です。
わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う(27節)
 昔、羊泥棒がいて、すぐつかまった。盗んできた羊60頭。被害者が次々に届けてきた。が、返す段になって、どの羊が誰のだか分からない。羊飼いの一人が「ここへ集まれ」というとその羊飼いの所に自分の羊が集まったので、皆も同じようにした。羊飼いと羊の間には、そういう繋がりがあるのでしょう。良い羊飼いは、羊の個性を見分けます。声、歩き方、人相(羊相?)、一匹一匹皆知っています。同じように主イエスは私たち一人一人の悩み、苦しみ、不安をよく知っておられます。この事は、昔も今も将来も変わりません。私たちは、すべて、あの良い羊飼いである主イエスのもとにある「一つの群れ」であるということを心から理解しなければなりません。この事が本当に分かったら、私たちの生活は決して苦しみにへこたれない強いものとなり、お互いの間に平和が満ち溢れるものとなるでしょう。「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」とあるように主イエスは自らの尊い命を捨てて、この事の基礎を築いて下さったのです。
③ 良い羊飼いの絵  
 主イエスが羊の群れの先頭に立って歩まれている絵があります。ブロックホルストの「良い羊飼い」の絵です。片手に杖を持ち、もう片手には子羊を抱いています。よく見ると、まっ先に来た一匹の親羊が、主イエスの手にある子羊を見上げています。そして子羊を見上げている目は、イエスの御顔をも見上げることになっています。この親羊は、群れの羊と同じく、羊飼いのあとについて歩いていたけれど、自分の子をイエスの手に召されたので、走って行ってイエスの手にあるわが子を見上げているのです。そしてその子に導かれて、イエスの御顔を拝しているのです。
今、コロナ禍の中で、体が宙に浮き、心が宙に迷うように思われる時、主イエス・キリストの救い主としての言葉まで聞こえなくなり、その姿まで見えなくなりがちです。主がお生まれになった。十字架につけられて殺された。光が消えたと思われた時、神のみ業がそこに輝いた。私たちはこの事実に、もう一度立ち帰りましょう!神様は、私たち一人一人に目をとめ、こよなく愛し、光の子として支え導いておられます。主にあって大丈夫です。主イエスに対する確信を、そこからわずかでも、平和の言葉が語り出され、光が増していきますようにご一緒してまいりましょう!

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2020.8.29 by nk

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