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聖霊降臨節第12主日礼拝 説教「真実にひざまずく」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年8月16日
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ヨハネによる福音書9章35~41節
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「真実にひざまずく」 要約
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① 「あなたは人の子を信じるか」(35節) |
イエスが再び登場し、イエスをキリストと告白した事が原因で、会堂(シナゴーグ)を追放された者を見出し、十全な信仰把握へと導きます。「(イエス)は、彼に会った」。すなわち彼に目を止められました。この無名の男を、ハッキリと強調する代名詞で「あなたは」(35、37節)と呼んで下さった。そして「人の子を信じるか」と言葉をかけて下さった。男が裁かれている間、主の姿は見えなかったけれど、男は確かに主のまなざしの中にあったのです。「あなたはもう会っている。今あなたと話している私が、その人である」(37節)という主のいつくしみ深い問いかけに、男は決断し、自分の生と死をかけて応答します。信仰の応答は、私たちの側の主体的決断ですが、その信仰を起こすのは、イエス・キリストにおける神の働きです。この男の生きざまは、厳しい迫害下にあって生きた初代教会の人々に、大きな励ましを与えました。これは、2020年前の出来事であるだけではなく、今も主は、私たちを「あなた」と呼んで下さり、語りかけで下さっています。 |
② 信仰者の生涯 |
この奇跡の出来事は、共観福音書の奇跡物語が癒しを与えられる者の“信仰”がモチーフとして書かれているのに対し、出会いからして全く“イエスの方から”近寄って来られています。更に男がイエスへの信仰の故にユダヤ教社会から追放された時にも、再び“イエスの方から”彼に近づき信仰の告白へと導いておられます。神の働きかけ、その恵みの意義を充分には知らないままに出発するこの男も、しかし自分の身に起こった事については確かに知っていたし、その事実をごまかす事なく、そこに立ち続けようとしました。その事が彼を次の認識へと導いていったのです。彼は周囲の人々から次々に「一体どうしたのだ」「何があったのだ」「何でそうなったのだ」と追求されましたが、それを通して「イエスは何者であるか」の認識を深めていく事ができました。それは彼が恵みの一点に立ち続けた事によります。そこに恵みから恵みへ、信仰から信仰へとの大きな成長が起きたのです。これこそ信仰者にとって大切な事です。 |
③ 真実にひざまずく |
恵みの事実に立ち続ける事こそ大切な事ですが、同時に私たちにとって困難な事でもあります。私たちの誰もが、この男と同じ形ではないにせよ、様々な困難や信仰の持続を妨げる障害に直面します。そしていつしか、恵みの事実に立つ事を止めてしまうのです。意識的に止めないにしても、かつて起こった恵みの出来事を忘れてしまうのです。受洗はしても、信仰を持ち続ける事の難しさは私たちの多く経験している事です。そこに人間の弱さがあります。弱さに甘んじないで、目を覚ましましょう!初心にかえりましょう!今一度、心を新たにして、イエスの救いの業を自分に起きた事として承認し、そこに立ち続けましょう!イエスに肉の目が癒された男が郷里に戻り、自分の最愛の親、兄弟からも見捨てられたと知って心が真っ暗闇のどん底になった時、主は肉の目同様、心の目も開いて下さり、光が与えられました。彼は「主よ、信じます」と言って、ひざまずき、神の前に立ち、恵みの事実に生き始めました。たとえそれが、どんなに厳しくとも、「神もし我らの味方なら、誰か我らに敵せんや」と、恵みの一点に立ち続けたのです。私たちも、主の前に真実にひざまずきましょう。そして主の恵みの中を毅然たる態度で立ち続けましょう!
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