主日礼拝 説教抄録  2020年度
    
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    聖霊降臨節第9主日礼拝 説教「世の光キリスト」

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年7月26日

 ヨハネによる福音書8章12~20節

「世の光キリスト」 要約
① 仮庵祭(かりいおさい)
 イエスは「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩まず、命の光を持つ」と仰いました。「私は○○である」という言い方は、自分が何者であるかをイエスが啓示・宣言される時のヨハネ独特の重要な文章形式です。主イエスがこの言葉を語られた時は、7章37節に書かれているエルサレム神殿での「仮庵の祭り」の時であったと思われます。この祭りは、イスラエルの<三大祭り>の一つで、非常に大切な祭りでした。元来は収穫感謝の祭りで、その名は収穫の際に建てられる仮の小屋に由来しましたが、後にはイスラエルがエジプトを出て荒れ野をさまよっていたときの「仮庵(小屋)、すなわち幕屋」の再現の祭りとして祝われるようになりました。仮庵祭は“水の祭り”であり“火の祭り”とも呼ばれました。人々は「ああ、我々の先祖はこんな風に神の光を仰いで40年の荒れ野の旅に耐える事ができたのだ」と先祖たちの労苦を想起し、追体験し、普段の生活では忘れてしまっている本来の生活に立ち戻るための祭りでありました。
光でいっぱいの祭り
 同時に、この祭りは「光でいっぱいの祭り」でもありました。祭りの最初の日から、人々は神殿の「婦人の庭」に集まり、沢山の灯火を掲げ、その明かりは神殿の壁を越えてエルサレム全体を明るく照らしたとも言われています。さきの7章37節をみると、「祭りが最も盛大に祝われる」のは「終わりの日」とありますから、イエスがこの言葉を語られたのは、祭りの終わりの日」であったと想像できます。この世の中には色々な光があります。大きな光もあれば、小さい光もあります。この祭りで皆が目にしたような盛大な光の祭典もあります。これらの光はどれも、今日輝いて明日は消えていく光であるに過ぎません。しかし、「わたし」は、即ち、人となられた神の御独り子はそのような光ではなく、永遠に輝く真の光であってエルサレムだけではなく全世界を照らす永遠の光です。この光に導かれて歩む者は、「暗闇の中を歩まず、命の光を持つ」のです。この真の光が、イエス・キリストにおいて私たちを照らしています。
③ 世の光キリスト
 世の光とは第一に、この世を明るく照らし、私たちにその行く道を示す<道しるべ>を意味します。第二に光は、この世を明るく照らし出すと同時に、この世の暗闇を、その汚れの深さをも明るみに出すものです。世の光とは第三に、世に対する光、世を越えたものが世の中に入ってきた光です。イエス・キリストが真の光であり、この光が私たちの間で燦然と輝いているのですから、私たちの間に依然としてある闇、私たちの上を依然として覆っている暗闇は、イエス・キリストの故に、やがて消えて行く他はありません。それが、イエス・キリストの故に、闇に与えられている未来です。一点の曇りもなく光り輝く神の国が、イエス・キリストの故に私たちを待っています。光に満ちた神の国が、イエス・キリストの故に、私たちの未来というわけです。聖書に「わたしは世の光である」に対し「あなた方は世の光である」(マタイ5:13)というイエスの言葉が記されています。キリストの福音です。私たち自身は光ではないし、手の中に光を持ってはいません。が、月が太陽の光を受けて暗闇を照らすように、「世の光キリスト」にならって歩む時、コロナ禍にあっても、キリストの光を受けて燦々と輝けるのです。信じて祈って前進しましょう!

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2020.7.25 by nk

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