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聖霊降臨節第6主日礼拝 説教「私たちの命」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年7月5日
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ヨハネによる福音書6章52~59節
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「私たちの命」 要約
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① 『ヨハネによる福音書』の目的 |
ヨハネ福音書は、共観福音書に遅れて紀元百年頃に現れました。書きぶりも年代も違うので共観福音書と区別されます。福音書である以上イエスの生涯を記すものですが、ヨハネ福音書は、著者がその目的を明記しているのが特徴です。「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、信じてイエスの名により命を受けるためである」(20章31節)。単なる記録ではなく伝道的な意図を持った書物です。前半(1~11章)には、七つの奇跡が記されており、後半(12~21章)は『受難物語』で、エルサレム入城に始まる受難週のイエスを、その説教とあわせて記しています(十字架と復活の記事も含めて)。ヨハネ6章の「五千人にパンを与えた奇跡」も、奇跡だけを記すのではなく、それにともなって、イエスが「命のパン」であることの説教がなされた事が記され、また、人々との論争も記している事がヨハネ福音書の特徴です。この事がイエスは誰かと言う問いに対する解答を示唆する事にもなっています。 |
② 「わたし(イエス・キリスト)の肉はまことの食べ者」55節 |
教会に人は救いを求め、楽になりたくて来ます。が、イエスは「私を食べろ!」と命じます。イエスの人格が血となり肉となる程に自分の中に取り込めと申します。一つの譬え話をします。ある所に一人暮らしの子がいました。スナック菓子ばかり食べ、喉が渇いたらジュースばかり。子供なりにおいしいものに栄養があると考えたのです。食べると一時的に身も心もスッキリしましたが、体は蝕まれていきました。心配したある大人がその子を保護し、バランスのとれた食事を与えました。その食事はこの子にとっておいしくないものでした。何故こんなものを食べなければならないのか、と何度も逃げ出しました。逃げ出しても追いかけられ、また連れ戻されて、半ば、強制的に食べさせられました。子は自分がいじめられていると思っていましたが、やがて子の健康は回復していったのです。もし、この子が自分の知恵だけで生きていたなら死んでいたでしょう。この子を救ったのは大人の知恵。大人が捕まえてくれたから、この子は生きたのです。 |
③ 私たちの命 |
私たちは死すべき者です。その死はいつ訪れて来るか分かりません。私たちの命は神から与えられたものです。パウロ曰く「知らないのですか。あなた方の体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿(聖霊の宮)であり、あなた方はもはや自分自身のものではない」(Ⅰコリント6:19)。私たちには永遠に生きておられる主イエスが私たちの心の内の奥に「いつも」生きているのです。過ぎ去った過去の歩みにも、主は共にいて下さいました。今も主は私たちの内にいて下さいます。問題は私たちが信じる事ができるか否かです。人は皆、永遠の命に与っているのです。何と幸いな事でしょう。まだ頑なになっているのならば、心を開きましょう。私たちが主イエスを本当に愛しているか、いないか。み言葉を聞かないふりをしてなお主イエスを拒み続けているのか、今一度省みましょう。このような私たちのために流された主イエスの血、裂かれた体を思い、そこで救い取られている私たちであることを、それ故になお、神を父と呼び得る者である事を受け入れる事ができますように!永遠の命に与って感謝の日々を過ごせますように!教会がこの永遠の命に生きる群れとして、いつも輝かしい歌声を挙げ続けることができますように祈りましょう!
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