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聖霊降臨節第4主日礼拝 説教「無駄にならない恵み」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年6月21日
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ヨハネによる福音書6章1~15節
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「無駄にならない恵み」 要約
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① 僅かな食べ物で大勢の人々のお腹を満たす |
ニ匹の魚と五つのパンの奇跡(しるし)。イエス・キリストは「一体どうやって」「たったこれだけでは」と途方に暮れる弟子たちの前で素晴らしい御業をなして下さいました。そういう主イエスを、私たち一人一人、そして教会は「王」として礼拝しています。ところで、15節を見ますと、満腹した人々がイエスを「王」としようとしたとあります。イエスの時代は一握りの人を除いて総じて人々は貧しい暮らしをしており、何の社会的保障もありませんでした。大勢の人が心から貧しさを嘆き、あるいは常に、ひもじさを抱えていました。私たちも賢く正しく、誰もが安心し、欠ける事のない仕方で食物や富を分配する為政者を求めています。だから十分な食べ物を与えて下さったイエスを王にという人々の気持ちを、私たちも理解できるのではないでしょうか。この話には伏線があります。この奇跡物語のオリジナルともいえる話が、旧約の列王記下4章42節以下にあり、預言者エリシャが大麦パン20個で空腹の人々を満たした事が原型となっています。 |
② 分けるとふえる |
過越祭近く、町外れの山の広い原っぱに大勢の人が、弟子たちと一緒にイエスの話を聞いていました。時のたつのも忘れて、気がつくと夕方になりお腹がすいていました。その時、あどけない幼児が出てきて、大麦のパン五つと魚二匹入ったお弁当をさし出し「ぼく、おなかすいているけど、このお弁当、イエス様にあげる」と言いました。イエス様は喜んで受け取り、感謝の祈りをして、皆に分けようとしました。大人たちは恥ずかしくなりました。なぜって、自分のお弁当は人にやらないで、あとで自分が食べようと思っていましたから。でも、あどけない子のしぐさに熱い思いが満ちてきて、一人、二人、次々と過越祭のための自分のお弁当をソッとふところから出し始めました。とても不思議な嬉しい経験でした。原っぱの皆がニコニコしてお弁当を分け合って食べたのです。そうしたら数え切れない程、大勢の人たちがお腹いっぱいになりました。余りを集めたらお弟子さんたち12人の籠がどれもいっぱいになりました。 |
③ 無駄にならない恵み |
「分けるとふえる」は奇跡です。自分のものを分けたら減る、が常識です。人は誰も先ず自分の分をシッカリ確保し、そのあと、余ったら困っている人に分けてあげる。それがこの世を生きるための原則であり知恵だと思っています。が、主イエスは、「分けるとふえる」生き方を示し、実践されました。この生き方は燐人を愛する事を、神を愛する事と同じ程、大切にする生き方です。奇跡はミラクルではなくワンダーです。摩訶不思議な事ではなく神の御業への驚きと賛美です。聖書は「無駄にならない恵み」の奇跡で一杯(ワンダーフル)です。「少しも無駄にならないように」という言葉は、『ヨハネ福音書』に頻繁に用いられている言葉です。例えば
3章16節「信じる者が<一人も滅びないで>永遠の命を得る」の
「滅びる」という語と「無駄になる」という語は原文では同じです。例えば6章39節「私をお遣わしになった方の御心とは<私に与えて下さった人を一人も失わないで>終わりの日に復活させる事である」の「失う」という語と「無駄になる」も同じです。主は私たち全ての人を<一人も滅びないで>永遠の命を獲得し<一人も失わないで>終わりの日に復活するようにして下さいました。「無駄にならない恵み」に感謝しましょう!
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