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ペンテコステ・聖霊降臨節第1主日礼拝 説教「真理の霊・弁護者」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年5月31日
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ヨハネによる福音書14章15~27節
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「真理の霊・弁護者」 要約
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① 教会の誕生 |
ペンテコステ(聖霊降臨)礼拝にようこそいらっしゃいました!
ペンテコステは「教会の誕生日」と言われます。それはなぜでしょうか?教会は、一体、何によって存在しているのでしょうか?教会は、主イエス・キリストを信じた弟子たちが「皆で力を合わせて主イエスのことを宣べ伝えましょう」と相談し、決意し、一念発起して、総決起大会を開いて誕生したのではありません。教会は「聖霊」(今も生きて働く神の力)が降ったことによって、主イエスの弟子たちが聖霊の力を受けたことによって、つまり、神の力によって出来たのです。茅ケ崎堤伝道所が今ここに存在するのも、この同じ聖霊の働きによるのです。私たちが今、主イエスを信じる信仰者の群れとしてここに集められている。礼拝している。正にここに教会があります。教会というのは教会堂という建物のことではなく、信仰者の群れ、礼拝の群れのことです。神の力、聖霊の働きなしには私たちは一日たりとも信仰者として生きることは出来ないし、教会が存在することもないのです。 |
② 「聖霊」って何? |
私たちが聖書を読み、聖書の話を聞いている時、ハッと気づいて爽やかな気持ちになる、それが「聖霊」の力です。大勢の人が狭い部屋に集まって、すっかり部屋の空気が悪くなった時、部屋の窓を開けると、サッと爽やかな風が入ってきて急に生き返ったような気持ちになる。それが「聖霊」です。私たちは人生の中で様々な困難やうっとうしいことが続いたりすると、すっかり落ち込んでしまいます。でもそのような時、礼拝に出て聖書の話を聞くと、み言葉が突然、私たちの心に新鮮に飛び込んで来て心が洗われたような気持ちになることがあります。それが「聖霊」の働きです。聖霊は神の息であり、私たちを生き返らせる爽やかな風です。ギリシャ語では、息も風も聖霊も、同じ「プネウマ」です。息も風も聖霊も皆、目に見えないけれど、感じることは出来ます。共に礼拝し、声を合わせて歌い、共に祈りをなす内にハッと気づき、「よし、やろう!」と明るい希望が湧いたなら、最初のペンテコステの時と同じ聖霊を受けたということなのです。 |
③ 真理の霊・弁護者 |
ガンのため47歳で亡くなった鈴木章子さんが≪変換≫という詩を遺しました。「死に向かって進んでいるのではない/ 今を貰って生きているのだ/ 今ゼロであって当然の私が今生きている/ 感謝だ/ 引き算から足し算への変換/ 誰が教えてくれたのでしょう?/ 新しい生命/ 嬉しくて/ 踊っています/ “いのち日々あらたなり”/ う~ん わかります」こういう詩です。彼女はどんどん明るくなりました。彼女を引き算の人生から足し算の人生へ変換させたのは聖霊(真理の霊・弁護者)の力です。「彼女は特別なのです。私は中々あぁ言う風になれません」と人は言います。が、人間の力の限界を越えた所で働くのが「聖霊(神の力)」です。人間は本来「神の子」へと志向すべく、神によって造られています。そして、それは、正に、「聖霊降臨」によってのみ可能です。聖霊によって私たちは<栄光から栄光へ>造り変えられていくのです。人間は皆、変えられていく可能性を持っています。キリストがこの地上に来られた最終目的は、聖霊を注いで、私たちを造り変え、神の子としての姿に変えられていき、私たちに素晴らしい神の子としての実質を与えて下さり、引き上げて下さることです。聖霊を日々いただき、共に充実した人生を進みましょう!
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