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復活節第6主日礼拝 説教 「キリストの勝利」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年5月17日
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ヨハネによる福音書16章25~33節
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「キリストの勝利」 要約
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① しかし、勇気を出しなさい(33節) |
これは主イエスが十字架におかかりになる直前、弟子たちに語られた最後の言葉です。誰の言葉でもその人の最後の言葉は重大に受け止められます。今ここで、主は「しかし、勇気を出しなさい」と語っておられます。私たちは今「生きる勇気」を必要としています。人生は時として不愉快な経験や傷つけられる経験をします。それに耐え、明るく前向きに、活き活きと輝いて元気に過ごすには勇気が必要です。今コロナの為、失業が増え、生活に不安が生じ先行きの見通しの立ちにくい時です。老若男女、勇気が必要です。主から「勇気を出しなさい。」と言って頂く必要があります。「勇気を出しなさい」と言って下さるのは主です。その時、主は「しかし」と言わねばならぬ現実をご存知で、「あなたがたには世で苦難がある」事、その苦難に対し、決して強くない事を知っておられます。が、それを避けよとは仰っていません。世にある人類の苦難に信仰者も教会も与らねばなりません。が、同時に私たち信仰者は「主の勝利」にも与ってもいるのです。 |
② 「慰められていなさい」、「安心しなさい」 |
宗教改革者ルターは、「勇気を出しなさい」の所を「慰められていなさい」と訳しました。フランシスコ会も聖書協会共同訳も同じく「勇気を出しなさい」と訳している箇所を、マルコ6章の10節では「しっかりするのだ。恐れることはない」(口語訳)、「安心しなさい」(新共同訳)と訳していますし、マルコ10章49節では「喜べ、立て」(口語訳)、「安心しなさい」(新共同訳)と訳しています。つまり、主イエスによって「安心し、元気を出す」、それがキリスト教的勇気です。主によって安心すれば、誰でも立ち上がれます。元気が出ます。「勇気を出しなさい」と語るこの段階では、「その日には、あなたがたはわたしの名によって願う」(26節)とも言われています。前の段階の最後(24節)に言われている事と同じことを意味しているというのです。つまり、前の段階の最後は、「願いなさい」です。「私の名によって願いなさい」。「そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる」。主の名によって願う事、祈る事、勇気を出す事は同じという事です。 |
③ キリストの勝利 |
主イエス・キリストの勝利は、主イエスが「私たちのチャンピョン」だと言いかえられます。「あなたがたには世で苦難がある」(33節)。病があり、争いがあり、試練があります。家族や友人が苦難を受ければ、私たちもそれを避けるわけにはいきません。逃げ出すことは出来ません。問題は「世にある苦難」の時、それだけでなく、同時に「主の勝利」に与っているかという事です。「世の苦難」にあっても同時に「主に結びついた平和」があるかという事です。主の十字架に示された愛と力の勝利に与っているかです。苦難がありながらも、同時に主の勝利に与っているなら、勇気が湧くのです。どんな時にも祈りを失わない事です。本当に主の名によって祈る時、自分勝手な計画の中に神を引き込むのではありません。そうではなく、神のご計画に用いて頂くのです。本当の祈り、主の名による祈りは、人生の中心を180度変えます。自分の体裁ではありません。神のみ榮えこそが勝利になります。そこに用いて頂くのです。この一週間、本当に真剣に祈ってまいりましょう。そして、悩みの中にも主にあって平安のある、立ち上がることのできる、勇気ある日々を、安心して、喜んで、心豊かに、主の証人としてご一緒してまいりましょう!
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