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復活節第5主日礼拝 説教 「神が呼ぶ時」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年5月10日
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ヨハネによる福音書21章20~25節
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「神が呼ぶ時」 要約
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① 母の使命 |
今日は母の日。夏目漱石は「母の性格は、昔から用い慣れた慈母という言葉で形容すれば、それで尽きる。母は慈母の二字のために生まれ、そして死ぬ、といっても差支えない」と言い、またシェークスピアの「女は弱し、されど母は強し」という言葉があるように、母は、産んだ子を養い、育てるために身をさき、骨をけずり、子の幸福を願う本能的な母心があります。しかし、それだけなら動物でもできることです。人間の母としての尊さはそれだけであってはなりません。オーガスチヌスの母モニカは、彼が身をもちくずしていた時、ひたすら神に祈って、その更生を待ち望みました。そして遂に彼は“聖者”と仰がれるようになりました。彼女はオーガスチヌスの肉体を生んだだけでなく、彼の魂の新生のために苦闘しました。が、子は親が作ったのでない、神が創り母に託したもの。子供の心の中には、親の力ではどうしようもないものが生きています。最も大切な「母の使命」は、子の魂が神によって新しい命に生かして頂けるように祈る務めです。 |
② あなたは、わたしに従いなさい |
イエスはペトロに使命を与えて「私に従いなさい」と命じ、ペトロは「主の愛しておられた弟子」即ちヨハネの事が気になり「この人は…」と問います。すると主は「人と比べるな。あなたならではの使命のために私があなたを選び、あなたを立て、あなたにこのような人生を示し、あなたにこの務めを任せたのだ。私を愛しているなら、一筋に私が与えたあなたの人生を歩み抜け」。アルベルト・シュヴァイツァーは優れた音楽家であり卓越した神学者でした。多才に恵まれていた彼が29歳の時、あるパンフレットに釘付けになります。それは、ガボンにおける人手不足を報じ、「教会は『主よ、私は従います』と応える者を求めている」とありました。この言葉に、彼は堅く決意します。仲間や恩師、親戚は皆、彼を引き留めました。それにも拘らず「神が私を呼んでいますから」との決意は微動だにせず、直ちに医師免許取得の勉強を始め、数年間にわたる準備の後、アフリカのランバレネに赴き、そこで50年間アフリカの医療活動に従事したのです。 |
③ 神が呼ぶ時 |
このシュヴァイツァーが『イエス伝研究史』の中で述べています。ガリラヤ湖のほとりで二千年前に起こった弟子たちへの召命と同じことが、すべての時代、すべてのキリスト者に対して起こる。神は、すべてのキリスト者に、主イエスに従って歩むように望んでおられる。神は、その時代その社会の中で、その時代ならではの課題、あなたにしか担えない善い業(愛と奉仕)を必ず示される」と。勿論、すべてのキリスト者がシュヴァイツァーと同じような才能や環境に恵まれているわけではないでしょう。が、賢者にも、愚者にも、豊かな者も、貧しい者にも、すべての人それぞれに、神は呼びかけて下さいます。「彼女が」どういう使命を与えられているのか、「彼」がどういう課題を負わされているのかに関係なく、「あなたは、私に従いなさい」と呼びかけて下さいます。あなたの人生の暗闇の中で、騒がしい殺到の中で、激しい嵐の中で、あるいは、静かな祈りの中で、神の御声は響きます。気づくあなたは幸いです。「神が呼ぶ時」に、素直に聞けるあなたは幸いです。その時、特定の使命が与えられます。それに、応えるだけの知恵と力を祈り求め、主の示す道をどこまでも歩み続けていく忍耐力と持続力とを祈り求めてまいりましょう!
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