主日礼拝 説教抄録  2019年度
    
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復活節第2主日礼拝 説教 「トマスの疑い」

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年4月19日

   ヨハネによる福音書20章19~31節

「トマスの疑い」 要約
① 一人「ほっておかれた」トマス
 ヨハネ福音書の特徴は一人の人に焦点が当てられる事です。イエスの復活物語では、20章前半にマグダラのマリア、後半にトマス、21章にペトロが登場します。ヨハネ福音書は「復活とは何か」という理論ではなく、マリアを始めとする具体的な一人一人を通して「復活されたイエスに会う」とは、どういう出来事かを描き出しています。さて、弟子たちが、恐れて、鍵をかけ、静まっていた家の中に、復活の主が入って来ました。その時、トマスはいませんでした。一人「ほっておかれた」トマスは「イエスの傷跡に自分の指を入れてみなければ復活など信じない」と仲間の弟子たちに言い張りました。しかし、実際「あなたの指をここに当ててみなさい」とイエスに言われた時、ただ「主よ」と言うほかはなかったのです。自分の物差しに当てはまれば、その事を受け入れるというトマスの考え方は、みごとに打ち破られてしまいました。イエスが生きておられる。その圧倒的な事実に打ちのめされる所から、トマスの新しい生き方が始まったのです。
② ディディモと呼ばれるトマス
 12弟子の一人であるトマスは「ディディモ(双子)」と呼ばれていました。『トマス行伝』には、「キリストの双子の兄弟である」とあります。この呼び名はトマスの誕生に由来するというより、彼の性格に由来するものです。彼は自己の中に「信仰者トマス」と「懐疑家トマス」を同居させている人物でした。彼は、共観福音書には、12弟子の中に彼の名前が記されているのみですが、ヨハネ福音書においては、口数は少ない(発言4回)けれど、重要な人物として登場しています。彼は最初、イエスと共に死ぬ覚悟で主に従って行ったのです(11:16)が、実際は、主イエスと共に行動できず挫折します。12弟子の中で最後まで主の十字架を信じることが出来なかった一番弱い弟子でした。しかし、ひとたび復活の主に捕えられるや、物凄い力を発揮します。彼は当時、地の果てと言われたインドにまで伝道に出かけ、そこで想像を絶する様々な困難を経て、聖トマス教会を生み出したのです。そして今、この教会にマザー・テレサのご遺体が安置されています。
③ トマスの疑い
 トマスは「疑い深い人」とレッテルを張られています。本当に疑い深い人でしょうか。実は、彼は「主の復活を信じない」と言ったのでなく、「見れば信じます」と言ったのです。自分の理性、理解、認識で表現したのです。この福音書はトマスを代表にして、「見ないで信じる信仰」の大切さを私たちに教えています。復活された主は、彼に十字架の傷跡を示し、「触りなさい」と命じます。生々しい傷に触れるだけでも飛び上がるほど痛いでしょうに「手を脇腹に差し込みなさい」と命じます。信じるようになるために、主は「もう一度、十字架の苦痛を繰り返そう」と語るのです。復活の主は、トマスの心、私たちの心を開かれます。信じない者のために、主はどんな壁や囲いも突破してきて、迫ります。彼は思わず「ホ・キュリオス・ムー、カイ・ホ・セオス・ムー(わたしの主、わたしの神よ)」と叫びます。彼は理解したのです。だから指も手も差し入れていません。もはや確かめる必要がなくなりました。トマスの信仰告白です。彼の口から出た信仰の告白は十字架の意味を知った人の言葉です。十全な信仰(full faith)です。見ないで信じる者に「からだと血」とを分け与える聖餐式を指し示す言葉なのです。私たちもトマスの信仰告白へと導かれましょう!

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2020.4.19 nk


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