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イースター礼拝 説教 「主は本当に甦られた!」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年4月12日
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ヨハネによる福音書20章1~18節
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「主は本当に甦られた!」 要約
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① 神は人よりも強く、悪霊よりも強い! |
キリストの復活。それは、神が主イエス・キリストを甦らせたという事です。そしてそれは、神が人間のたくらみを打ち砕いたという事です。そしてまたそれは、神が悪魔の力に打ち勝ったという事です。ローマ総督ポンティオ・ピラトであろうと、ユダヤ教の大祭司であろうと、そのほかどんな人間であろうと、更にはまた悪魔そのものであろうとも、神の力の前には無力である事を告げ知らす出来事。それが神の子イエス・キリストの復活です。十字架が人間の罪のしるしであり、悪霊の力の象徴であるとすれば、復活は、人間の罪の限界、悪魔の力の限界を示す出来事です。教会は昔から今に至るまで、ずっとその事実を証しし続けてきました。教会が宣べ伝える福音の核心とは、「神は人よりも強く、神は悪霊よりも強い!」という事実です。人間が悪知恵を働かして神に対抗しようとしても、悪霊がどんな手段を用いて神の独り子を攻撃しようとも、神は人間よりも強く、悪霊よりも強い。そのしるしこそ、主イエス・キリストの復活なのです。 |
② 主の復活の出来事 |
主の復活は、誰にとっても自明の事柄であるというわけではありません。誰もがそんな事は起こるはずがないと考えていました。弟子たちもまたそんな事が起こるはずはないと考えていました。最初に墓にやって来たマグダラのマリアも、そんな事は起こるはずはないと考えていました。マリアは、「(主の体が)どこに置かれているのか、私には分かりません」と二回も繰り返して語っています。主の体が「取り去られた」という事も二回繰り返しています。復活の主ご自身に出会っていながら、その方に向かって、「私が、あの方を引き取ります」と言います。「置く」、「取り去る」、「引き取る」。これらの言葉は、マリアが主イエスを死体としか考えていなかった事を示しています。マリアも、弟子たちも、誰もがそのように考えていたのです。人々は主イエスを「十字架につけよ」と叫びました。そして、神の子は十字架につけられたまま死んだのです。誰もが、それですべては終わったと思いました。が、実はそれは終わりではなく、始まりであったのです。 |
③ 主は本当に甦られた! |
2020年前の復活の朝の出来事によって、この世界における人間の罪の力が打ち砕かれ、悪霊の働きも打ち破られ、今や、神の力が人間の罪と悪霊の力を圧倒し始め、神の恵みがこの世界に満ち溢れ始めました。そして、そのような復活を信じる私たちは、この歴史が罪の勝利ではなく、神の勝利に向かって進んでいる事を確信しているのです。私たちはその確信に支えられて、復活の主と共に進み、神の国が完全な形で現れる時を待ち望みながら、この世に生きているのです。この世界には、キリストの復活を大声で町中に告げ知らせる人々と、それを冷やかしながら通り過ぎていく人々が存在します。そのような現実の中で私たちは、最後に来るべきものが人間の罪による世界の滅びではなく、恵みと憐れみに満ちた神の国であることを信じ、またそれを告知する使命を負っています。イースターにおいて、そして毎週の主日礼拝において、教会はこの信仰を告知するのであり、私たち一人一人もまた、自分自身の人生と生活を通して、この世に復活の喜ばしい福音を証しし続けていくのです。もう一度、この福音を思い起こしましょう!世界に向かって、私たちもまた大きな声で宣言しようではありませんか。「主は本当に甦られた!」と。
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