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降誕節第7主日礼拝 説教 「最も大切なもの」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年2月9日
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ヨハネによる福音書3章16~21節
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「最も大切なもの」 要約
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① 神は…「世」を愛された。信じる者が…「永遠の命」を得る ために(ヨハネ3:16)。 |
今朝は「黄金聖句(ゴールデン テキスト)」です。聖書には、「人」となられた神の子イエスが、私たちの罪の贖いのために、十字架上の死を遂げられた、という受難・復活の出来事と、「永遠の命」という事が、神が人となった、しかも、その人が十字架に付けられて死んだ、という事との関連において記されています。この事は、「自分は罪人ではない、他の人よりましな生き方が出来ると考える人」、「自分が滅びると思っていない人」には、理解不能な事でしょう。ルターはこの黄金聖句を「小福音書(福音のミニチュア)」と呼び、この所を度々説教して、「キリスト者は先ずこれを暗唱せよ。次に毎日、自分に語り聞かせよ。“ただ信仰のみ”イエスにならって信仰生活、教会生活に勤しめ」と勧めました。「神は『世』を愛された」の「世」というギリシャ語のコスモスは「宇宙」という意味ですが、そういう大きなものではなく、小宇宙の「私」と読みかえる時、この私の上に、無限大の神の愛が注がれている事に気づき、納得させてくれるに違いありません。 |
② 「永遠の命」・「神の国」・「天国」 |
「永遠の命」という言葉は分かりにくい言葉です。この言葉は、福音書の「神の国に入る」という事と、『ヨハネ』の「永遠の命を得る」という事と、同じ内容です。『マタイ』には、「永遠の命」という言葉が2回、「神の国」は4回、「天国」は35回あります。『マルコ』には、「永遠の命」は2回、「神の国」は14回ありますが、「天国」は全くありません。『ルカ』には、「永遠の命」は3回、「神の国」は33回ありますが、「天国」は全くありません。『ヨハネ』は「永遠の命」という語を17回も使われています。イエスとニコデモの対話の前半に「神の国」という言葉が、2回出て来ますが、それしか出て来ません。あと全てが「永遠の命」と置き換えられています。という事は、『ヨハネ福音書』では、「神の国」や「天国」に代わって、「永遠の命」という言葉が用いられている、と理解してよいと言えます。即ち、「神の国に入る」とか、「天国に行く」という事は、『ヨハネ福音書』においては、「永遠の命を得る」という言葉と同じ意味であるのです。 |
③ 最も大切なもの |
今から数百年前、キリスト教が初めて日本に入ってきました。宣教師たちによってです。彼らは色んな事を伝えたかったけれど、言葉の厚い壁にぶつかりました。一番伝えたかったのは「神は愛である」という事でした。その「神」という言葉を、その当時の「神」という言葉が八百万の神々を表す恐れがあった為、神というラテン語のまま「ゼウス」。それに「天のあるじ(天主)」という言葉を当てはめて読ませました。又「愛」という言葉がやはり当時の日本になかったので「ご大切」という言葉を使った、という事が記録に残っています。身分・階級が厳しかった時に、それらに関わりなく、人間一人一人は「神のご大切ですよ」。男尊女卑という風潮が強かった時代に、性別に関わらず、あなた方一人一人は「天のお父様のご大切ですよ」。又、封建制度の中で、若い人が軽んじられ、弱い人がさげすまれていた時に、年齢に関係なく、体の弱い強いに関係なく、人間は皆「ゼウスのご大切です」と伝えました。宣教師の方たちが言葉を尽くして伝えたかった事は今も同じです。皆、神に愛され、生かされ大切にされています。今度は私たちがどう生きたらよいでしょうか。このお言葉をもって愛しあい励まし合う慰めの群れとなればと願います。
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