主日礼拝 説教抄録  2019年度
    
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降誕節第6主日礼拝 説教 「風・息・霊」

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年2月2日

   ヨハネによる福音書3章1~16節


「風・息・霊」 要約
① 闇をまとったニコデモ
 ニコデモがイエスを訪ねたのは夜でした。夜は闇です。ニコデモにとって主イエスは、ファリサイ派という学問の仲間でもない、議員とのコネクションもない、経済的ランクが近くもないただの若い独身の男性に過ぎません。世間的にみればニコデモが昼間に堂々と訪ねるに足る人物ではありません。ニコデモは社会的地位があり、学閥に守られた聖職者であり、この世でスポットライトを当てられる側の指導者です。闇をまとったニコデモとこの主イエスとの会話は、まるで両者一方通行です。2,4,9節、ニコデモは言い、3,5,10節、主イエスは答えます。主の言い方は、「答えて」いるのに、ニコデモの言い方は、「尋ねる」にはなっていません。5~8節の主イエスの長い応答の中でプネウマ(霊・風)という単語が5回用いられる程、主は「霊によって新しく生まれる事を語っているのに、二人の会話は主イエスの応答で終了し、ニコデモが新生したのか、3章だけでは分かりません。その後ニコデモは7章50節、19章39節で再び登場して来ます。
② ニコデモの驚くべき変化
 これまでのニコデモは仲間の目や人々の評価やコネクションを気にするラビでした。が、後に現れるニコデモは「水と霊とによって新生(受洗)した」状態で現れます。驚くべき変化です。ユダヤ人議会でイエスを弁護し(7:50)、イエスの遺体の引き取りを、アリマタヤのヨセフと一緒に願い出ている(19:38-42)ではありませんか。彼は水と霊によって新しく生まれ変わったのです。クリスチャンは二つの誕生日を持っています。二つ目の誕生日(受洗記念日)は、一つ目の誕生日以上に重要な日です。なぜなら、そこには自らの決断が伴っており、そして何よりも神の国につながる「新しい命」に与った日だからです。クリスチャンはキリストの体である教会に繋がり、「神の国」へのパスポートと、祝福とを得、常に喜び、絶えず祈り、感謝の信仰生活に入ります。だから、クリスチャンは、たとえどんな窮乏や困難、当惑すべき状況にあっても、自らの欠乏や教会の困難を神に祈り、忍耐をもって、主イエスの「再臨の時」を待ち望むことができるのです。
③ 風・息・霊
 ギリシャ語では、風と息と霊が同じ「プネウマ」という言葉です。これは、旧約の原語であるヘブライ語「ルーアッハ」という語のギリシャ語訳で、主が語られた言語も同じです。「風は思いのまま吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない」(8節)。風の不思議さは霊に繋がります。人は素晴らしいものを見ると、神の霊が働いていると言います。息も同じです。人はどんなに具合が悪くても、元気でバリバリ動き回っても、息をしています。息をしている限り、生きています。三つは、それぞれ違った働きをしながら、根は一つ、神の力強い働きなのです。私たちが自由に、神の霊を働かせるというのではありません。神の方で自由に、その霊を働かせて下さるのです。「肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である」(6節)。この肉とは私たちの肉体の事ではなく、神の霊の反対側に立つものという意です。人間がどんなに理性的に高級な事を考えても、神に逆らうものである限り、肉の思い、依然として古い罪の中に生き続ける生き方です。この言葉の繋がりの中で、次の16節「神が御子イエスを与えて下さる愛」が語られた事を想起しましょう!そこにニコデモへの神の答えがあるのです。

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2020.2.2 nk


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