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降誕節第2主日礼拝 説教 「光を放つ言葉」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年1月5日
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ヨハネによる福音書1章1~5節
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「光を放つ言葉」 要約
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① 主の年2020年も<前向き・肯定的に>! |
年が明け、新しくなりました。昨日まで閉まっていたドアが開くわけでもなく、正月から日が差して長い夜が明けるでもないのに私たちは「新年…」と挨拶します。聖書にはこんな句があります。「かつてあったことは、これからもあり かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何一つない。見よ、これこそ新しい、と言ってみても これもまた、永遠の昔からあり、この時代の前にもあった」(コヘレト1:9-10)。一体、本当に新しいものとは何でしょう?ギリシャ語には「新しさ」を意味する言葉が二つあります。「ネオス」と「カイノス」です。「ネオス」は英語の「ニュース」の語源で、直ぐに古くなる、変わりやすい一時的な「新しさ」を示す言葉です。これに対して「カイノス」というのは、「いつまでも変わらない新しさを示します。大切な事は、昭和、平成、令和と変わりゆく時代を生きる私たち一人一人が形式的な新しさを追い求めるのでなく、主の年なる2020年を真実な新しさを持って前進する事ではないでしょうか。 |
② 「初めに言(ロゴス)があった」1章1節 |
『ヨハネ福音書』1章は「ロゴス賛歌」と呼びます。ロゴスはギリシャ語で「ことば、理性、事柄、思考など17の意味があり、単に人間の言葉を意味するだけでなく、真理、ここでは「神」をも意味しています。福音書のケセン語訳で有名な山浦玄嗣氏曰く、ヨハネ福音書のロゴスというところを全部、空欄にして、そこに、17の意味を一つずつ当てはめて試してみた所、「思考」が一番良かった。でも、思考という語は普通、使わないので「思い」。「あぁ、これがいい」と感じて、次のように訳した由。1節「初めにあったのは神様の思いだった。思いが神様の胸にあった。その思いこそ神様そのもの」。2節「初めの初めに神様の胸の内にあったもの」。3節「神様の思いがこごもって、あらゆるものは生まれ、それなしに生まれたものは一つもない」。4節「神様の思いには、あらゆるものを生かす力あって、それはまた生きる喜び、人の世に輝かす光だった」。5節「光は人の世の闇、照らすだったのに、闇に住む人はそのことに気がつかねだった」。 |
③ 光を放つ言葉 |
この箇所は、「ヨハネ福音書によるクリスマス物語」です。クリスマス物語といえばマタイではイエスが生まれた時、博士たちが礼拝にやって来た事、ルカでは羊飼いたちが夜、羊の番をしていた時、幼な子イエスを拝する事ができた事が記されています。聖書の時代は、治安も行き届かず、パレスチナの夜は真っ暗闇でした。一方、パレスチナから遠隔の地メソポタミア地方まで、既に光通信がなされていた事実が最近の考古学の発見によって裏付けられています。光通信の背景の中でヨハネは「光は暗闇の中で輝いている」と記します。それはこの記事が主イエスの誕生物語であると同時に、それだけではない大切な事がある事を私たちに伝えています。つまり「主イエス(ロゴス)」を通して、神を心で見て信じる人は皆、<神の子>として「新しく(カイノス)」生まれる事を示します。だから、今朝の聖書は、私たちが新しく生まれる物語、即ち、私たちのクリスマス物語であるのです。私たちは今ここで命の言葉そのものに他ならない主イエスの恵みを見せて頂いているのです。暗闇の中で輝いている方(光)を信じる時、私たちには死んでも生きる永遠の命が与えられます。「光を放つ言葉(神)」によって仕える勇気を持つ事ができるのです。
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