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待降節(アドベント)第2主日礼拝 説教 「立って、行きなさい」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2019年12月8日
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ルカによる福音書17章11~19節
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「立って、行きなさい」 要約
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① 重い皮膚病(ハンセン病) |
2000年前のユダヤの社会では、ハンセン病にかかった人は、街の中に入ってはならないという決まりがありました。彼らはエルサレムの城壁の上から残飯を投げてもらって、それを拾って食べる生活をしていました。移動する時には鈴を鳴らし、「汚れた私たちが行きますから早く逃げて下さい」と言いながら歩かなければならない、などと全くひどい規定がありました。この病にかかった人が癒された場合、旧約の定めに従って、エルサレムにいる祭司たちに見せ、本当に病が治っている事の証明を貰わなければなりませんでした。大変な差別です。ただ、この時、ハンセン病という困難な闘いが、当時の絶対的ともいえる分裂の壁を突き破らせていました。彼らは、好んで自分たちの群を形成していたのではありません。彼らを囲む社会が、彼らをそこへ追いやり、そうさせた、と言わざるを得ません。自らは健康で正常と自負する社会が、その自負によって弱者を切り捨て、排除し、そうする事によって自らを守ろうとする姿が見え隠れしています。 |
② 大声で叫ぶ10人のハンセン病人 |
主イエスがエルサレムへ向かう途中、ある村に入ると、ハンセン病にかかった10人が遠くの方から「イエスさま、先生、どうか、私たちを憐れんで下さい」と声を張り上げて叫びました。10人の中の1人はサマリア人でした。サマリア人とユダヤ人の間には、憎悪という壁があって、ユダヤ人はサマリア人を異邦人と見なし、彼らと交わることを激しく拒みました。この事は根が深く、2000年経った今日でもまだ続いている程です。主はこのハンセン病人を決して、見捨てませんでした。他の全ての者が彼らの大声を無視し続けても、その叫びを深く聞いておられました。が、主はすぐに癒されたのではありません。祭司の所へ行って体を見せるよう命じられただけでした。10人は、見事に主イエスの命令に従いました。信じたのです。そのようにして歩き始めた道の半ばで10人は癒された事に気づきます。15-16節に、9人は祭司の所へ急ぎますが、サマリア人ひとりは「大声で神を讃美しながら戻って来」て、主の足もとにひれ伏して感謝したのです。 |
③ 立って、行きなさい |
主イエスは、彼のうちに漲り溢れている「信仰」を見抜いて、彼に神の祝福を語り告げます。主は彼をご自分のもとに引き留めるのでなく、彼自身の生の現場へと、再び、送り出されます。「立ち上がって、行きなさい」。そこには必ず厳しい戦いが予想されます。彼がかつてハンセン病であった事に対する偏見や差別は絶えず彼につきまとうでしょう。加えて彼の身に幾分なりとも後遺症が残っているような場合には一層の拒絶が彼を待ち受けている事でしょう。そう考えれば、イエスによる病の癒しで、「めでたし!めでたし!」というわけにはまいりません。それにも拘わらず、彼は決して孤独ではありません。彼の叫びを聞きとげ、彼を癒された主が彼の隣に、常に立ち、共に戦って下さる事を彼は信じているからです。このサマリア人は彼と共にいて下さる主イエスを、彼の人生の真の支えとして、必ず立派に生き抜いて行く事でしょう。「あなたの信仰があなたを救った」という最後の言葉も、サマリア人に対する主イエスの励ましに溢れた語りかけです。テキストによれば、10人の全てが主イエスによって癒されています。それは、救いが人間の側の一切を越えた神の絶対的な恵みである事を示しています。私たちも立って、行きましょう! |
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