主日礼拝 説教抄録  2019年度
    
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降誕前第6主日礼拝 説教 「神の愛」

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2019年11月17日

 ホセア書11章8~11節 ルカによる福音書15章1~10節


「神の愛」 要約
① たとえの主題と、悔い改めの大切さ 
 15章は、ファリサイ派の人々や律法学者たちの批判的つぶやきに対してなされたイエスによる三つのたとえ話が並置されています。失われた羊の回復(3-7節)、失われた銀貨の発見(8-10)、失われた息子の回生(11-32)。この三つのたとえ話の結尾句、7節、10節、32節から<失われた>という事、そしてその<回復>が三つのたとえを貫く主題です。今朝は第一と第二のたとえです。第一・第二のたとえは対をなしており、「羊」と「銀貨」という素材の相違以外、物語構成と内容は同じです。第一は「百匹の羊の持ち主が見失った1匹の羊を捜し回り、見つけたら、友達や近所の人々を呼び集めて一緒に喜ぶ話」、第二は、「ドラクメ銀貨10枚を持っていた女が無くした一枚を捜し、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、一緒に喜ぶ話」です。1つというものがどんなに大切か。神の前では一人が全体であり、一人のもつ価値は全体と同じです。主は「悔改めを必要としない」正しさ(多数)に対する一人の悔改めの大切さを指示しているのです。
② み子イエスにおける「喜び」
 この礼拝堂入口に入ると「良い羊飼いイエス」の絵があります。先頭に立って歩んでいるのは良い羊飼いであるイエスで、片手に杖を持ち、もう一方の手には子羊を抱いています。良く見ると、まっ先に来た一匹の親羊がイエスの手にある自分の子羊を見上げています。そして、子羊を見上げている目は、その先にあるイエスの御顔をも見上げているではありませんか。親羊は群れの羊たちと同じように羊飼いのあとについて歩いていたのでしょう。自分の迷子の子羊がイエスに抱かれて「喜び」安心しています。そして、自分の愛する子羊に導かれて、この親羊は主イエスの御顔を拝する事になっているのです。今朝のテキストには、色々なことが言い得ると思います。しかしながら、ルカが語り告げているのは、ただ一つ、「喜び」です。失われた者に対する神の愛が既に、今ここに、イエスと共にある「喜び」です。そしてイエスによって、失われた罪人が取り戻される「喜び」です。正に「喜び祝うのが当たり前」であるような現実の到来なのです。
③ 神の愛
 これらのたとえの持つ「見失う→捜す→見出す」という構造は、聖書全体の中で啓示されている救いの歴史、救いの出来事の全行程を示しています。父である神は、罪によって失われてしまった人類を深くあわれみ、熱心に捜し求め、見出して下さいます。聖書が語る救いの歴史は、この構造の繰り返しと言えます。預言者ホセアもこのことを知らせています。「ああ、エフライムよ お前を見捨てることができようか。…わたしはもはや怒りに燃えることなく、エフライムを再び滅ぼすことはない。わたしは神であり、人間ではない」と。信じていきましょう。教会は慰めの共同体です。神の愛のふところを明らかにする場所です。この堤伝道所は、今ここに座しているお一人ひとりのために、わけてもあなたのために、そのように備えられています。そして末永く神の愛を明らかにしていきます。主に在って大丈夫です。堤伝道所は、そうあり続けました。そしてこれからも、そうあり続けるに違いありません。御安心下さい。どんなことが起ころうとも、神さまはあなたを愛しています。苦しくて辛くて、神から遠く立っている喜びなき者たちにも、神の愛、主イエス・キリストの恵み、聖霊の交わりを分け与えて参ります。信じていきましょう!

〒253-0006 神奈川県茅ケ崎市堤19-6
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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2019.11.17 nk


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