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聖霊降臨節第18主日・世界聖餐日礼拝 説教 「聖餐の意味」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2019年10月6日
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コリント人への第一の手紙10章14~22節
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「聖餐の意味」 要約
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① 「過越の祭り」の起源 |
キリスト教の二大礼典は洗礼と聖餐です。洗礼は1回きりの礼典で、罪に死に新しい命に生きることを表明する儀式です。聖餐は、食物を媒介とするキリストとの持続的な交わりです。それは過越祭と最後の晩餐に関連して始まりました。アブラハムの孫ヤコブには12人の子が生まれ、イスラエル12部族の祖となりました。11番目の息子ヨセフは父の特別な愛を受けますが、それを嫉妬した兄たちは彼をエジプトに奴隷として売り飛ばします。大飢饉の時ヨセフの助けでヤコブの一族はエジプトに移住します。430年後、イスラエルの民はエジプトの奴隷になっています。神はモーセを選んで、イスラエル人のエジプト脱出と父祖の地カナンに帰る旅の指導者にします。頑固なエジプト王パロと十回に及ぶ交渉の結果、いよいよ出エジプト!神は、イスラエル救出のしるしとして契約を交わします。子羊の血を民の家の門柱と鴨居に塗り、子羊の肉と種なしパンを食べる。それが「神の民のしるし」です。民はその契約を遵守!これが「過越祭の起源」です。 |
② 聖餐(主の晩餐)の制定 |
聖餐はキリストが制定されました。ちょうどイスラエル人が過越祭を祝うことが神の命令に服従する事であったように、聖餐は主の命令に服従する事でした。この儀式は過去の一回的な出来事であるキリストの苦難と死を想起させると共に聖餐式を行う事によってキリストの十字架と復活の出来事が現実の私たちの為であり、救いへと私たちを招くしるしなのです。だから聖餐は単にキリストの死を追憶する記念会でなく、現実の私たちのための死である事を記念すると言えます。その意味で聖餐式の主人はキリストであり、私たちは聖餐式で生けるキリストに出会うのです。パンを「取り」「感謝して」これを「さき」「分け与える」、杯も「取り」「感謝して」「与えられる」行為は、イエスが十字架上でご自分の肉をさき、血を流された行為を表現し告白すると共に、その行為に参与する事によって、私たちも福音の恵みに与るのです。この業は、終末の時に至るまで、繰り返され、主の死を告げる事によって救われ、生かされている事を宣教するのです。 |
③ 聖餐の意味 |
パウロは偶像礼拝を避ける事を勧めた後、聖餐の意味について述べます。「賛美の杯」(16節)は神を讃美するだけでなく、「キリストの血に与る事」であり、パンを裂くことは「キリストの体に与る事」(16節)です。一つのパンを裂く(分け与える)事を通して、「大勢でも一つの体」(17節)の交わりに与る事になると述べています。私たちは主日毎に礼拝に招かれ、ここで神を讃美しています。特に今日は「世界聖餐日」ですから、世界中の教会で、世界中の人々が、主の御名による聖餐を通して、一つキリストの体に与り、主イエスとの交わりを確認しています。一つのパンの交わりによって、私たちは多くいても「一つの(主の)体」の共同体とされるのです。私たちのために、主が十字架にかかって死んで下さったからです。その事によって「すべての事が許されています」(23節)。食べるにしても、飲むにしても、私たちは「すべて神の栄光を現わすため」(31節)に行う者となりましょう!私たちは復活の命に生かされている事を感謝し、私たちのこの体を主に献げる決意を固くして、神の愛、主の恵みに生かされましょう!その実践のために、「キリストに倣う者となったパウロ」(11章1節)のように、私たちも主に倣う者となりましょう!
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