主日礼拝 説教抄録  2019年度
    
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聖霊降臨節第9主日礼拝 説教 「せかいのはじめ」

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2019年8月4日

創世記1章1節~2章4節a

「せかいのはじめ」 要約
① 創世神話 
 創世記1~11章は創世神話です。ブルトマン曰く「神話は神々や悪霊を人間が依り頼むものと自認している力として、その慈しみを人間が必要としている力として、又その怒りを人間が恐れている力として語る。人間は、この世の自己の生活の支配者でない事、世は謎と神秘に満ちているという認識を神話は表現している」と。天地創造神話は1章~2章4節a迄のP資料(祭司典、BC5世紀、バビロニヤで成立)においては、カオス(混沌)からコスモス(秩序)への移行を表わし、2章4節b~4章26節迄のJ資料(ヤハウェ典、BC10世紀、イスラエルで成立)においては、荒地から耕地への移行として表わされています。そこに、全く無に等しいイスラエル(カオス、荒地)がヤハウェにより歴史の場(コスモス、耕地)へと導き出されたという、救済史の神話化が見られます。このようにして神の前に生きたイスラエルの「人間とその世界の信仰的自己理解」は、これら創世神話を通して、すべての人間に生の決断を迫るケリュグマとして語りかけているのです。
② 天地創造の七日間
 一日目、神は言われた「光あれ」。神は見て、良しとされた。二日目、神は言われた「水の中に大空あれ」。三日目、神は言われた「天の下の水は一つ所に集まれ」。神は見て、良しとされた。神は言われた「地は草を芽生えさせよ」。神は見て、良しとされた。四日目、神は言われた「昼と夜を分けよ」。神は見て、良しとされた。五日目、神は言われた「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ」。神は見て、良しとされた。六日目、神は言われた「地は、それぞれの生き物を生み出せ」。神は見て、良しとされた。神は言われた、「人を造ろう」。神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」「種を持つ草、実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう」。そのようになった。神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。天地万物が完成したので神は七日目を祝福し聖別されたのでした。
③ せかいのはじめ
 「世界のはじめ」を問う問いは様々な形でなされて来ました。ギリシャ哲学の発祥イオニアの自然哲学は万物の原質について考え、知識として世界のはじめを問題にしました。それは経済、政治、科学、芸術の文化の活気ある発展と展望の中で営まれた問いでした。日本の最古の史書といわれる古事記、日本書紀のごとく、天皇統治の由来を語り、諸氏の古伝を皇室の伝承に統一し、その統治の永遠性を述べる政治的意図をもって、はじめを問うたものもあります。が、イスラエルは捕囚という国家の終末と民族の滅亡の危機において、「救い」の事柄として「世界のはじめ」を問いました。いわば「おわり」において「はじめ」を問うたのです。それは知識の興味や政治の策略ではなく、生死をめぐる信仰の闘いの問題として問うたのでした。ここにイスラエルの「はじめ」を問う問いの切実さと深さと真理契機があります。創世物語は、「はじめ」は神のもの、神が意図して世界がはじまった事、人間は神に似せて造られ、祝福されている事を語っています。神は、創世過程の一つ一つを「見て、良しとされた」事、天地万物が完成した後、すべてを人間に託された事を、私たちが感謝し、創造主なる神を永遠に讃美し礼拝する事を欲しておられます。

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2019.8.4 nk



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