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ペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝 説教 「ペンテコステ」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2019年6月9日
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使徒言行録2章1~13節
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「ペンテコステ」 要約
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① 聖霊を受けると別人のように変わる |
新約聖書を主イエスの弟子たちの姿に焦点を当てて、初めから読み進めていくと、使徒言行録2章の「聖霊降臨」の出来事を境に、主イエスの弟子たちの姿がまるで別人のように変わることに気づきます。それまでの弟子たちは、主イエスを間近にしていたにもかかわらず、イエスとの間に大きなずれを経験していました。それは復活した後も同様でした。彼らは、お互いに孤立し、人々へのおそれにとらわれていました。そんな彼らが聖霊に満たされた時、突如人々の前に立ち、主イエスについて確信に満ちた姿で、力強く信仰を宣言するのです。そして、命がけでその使命を生きていくことになりました。一体、聖霊は弟子たちの中に何を起こされたのでしょう。聖霊は弟子たちの心をイエス・キリストとシッカリ結びつけました。弟子たちは神のお言葉である主イエスと一つになり、この主イエスと共に、神を愛し、隣人を愛しつつ生きる者へと変えられていったのです。それは、ヨハネ17章(21~26)で祈られたイエスの究極の願いでもあったのです。 |
②聖霊は、どんな方 |
スポーツをしている人はわかると思うのですが信頼できる監督やコーチがいるのといないのとでは、選手にとって全然違います。たとえ、その場にいなくても、信頼できる監督が自分たちを見ていてくれると思うだけで実力以上の力を発揮できます。お遍路の巡礼者は「同行二人」と書きます。自分は一人なのに、常に弘法大師と二人であるという事です。私たちも同行して下さる方がいます。その方は、目に見える形では何もしてくれないかもしれません。けれども、それだけで力になるのです。これが私たちの聖霊観です。へとへとに疲れて帰ってくる夫が大喜びで、「今日はこんなことを学んだよ」と、教えてくれる。その姿を見て、ああ、私たちは愛なる神に支えられている、喜びや感動を与えて下さる。これからも神に期待していいのだと、こちらまで嬉しくなります。今ここに空気が満ちているように、私たちはいつも聖霊に満たされています。日常の中にも、忙しさにかまけて感じ取ろうとしないだけで、確かな霊に満たされているのです。 |
③ ペンテコステ |
ペンテコステ(聖霊降臨日)です。この日に起きた奇跡を四つ分かち合います。第一は、言葉が通じないと思っていた相手と思いが通じるようになった。分かり合えないと思っていた相手との壁が崩されたという、大きな出来事です。二つ目。福音は国境や文化だけではなく、「普通である」と思われている健常者、「普通ではない」と思われている「障がいを持った者」との垣根を越えて伝えられた。それは「健常者・障がい者」という線引きをなくす事。人が人として大切にされるあたりまえの事が教会から始まったのです。無意識のうちに多数者が正しいと思い、少数者を排除してしまう、「普通・普通でない」の線引が打ち破られた、という奇跡です。三つ目。使徒たちが語り出したのは、社会通念を打ち破って、封じられていた自分の言葉を語り出した、という聖霊のなせる業、大きな奇跡です。四つ目。使徒たちが語り出した時、その言葉を待っていた人々(外国人、女性)がそこにいた事です。抑圧されていた人たちが、自分の言葉で語り出し、言葉を待っていた人たちをも力づけたペンテコステ。ペンテコステは終わりません。聖霊降臨は続いています。私たちは聖霊を呼び集め、聖霊の力に押し出されて、生きる者となりましょう!
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