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復活後第4主日礼拝 説教 「主イエスの約束」
日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2019年5月12日
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ルカによる福音書6章20~26節
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「主イエスの約束」 要約
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① 誰に語られたのか |
マタイの「山上の説教」とルカの「平地の説教」には違いがあります。第一に、語られた場所が違います。マタイは山上、ルカは「山から下りて平らな所」とありますから「平地」です。第二に、誰に語られたのか。マタイでは、主イエスは群衆に向かって語りました。ルカは、「おびただしい民衆」は、いるのですが、それよりも、20節「イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた」と書かれており、主イエスのもっと近くにいる弟子たち(彼らは、初代の教会の信徒たちとなる)に向かって直接語っている、という違いがあります。第三に、マタイに登場する群衆は主イエスの教えに非常に驚いたとあります。が、ルカに登場するおびただしい民衆は、驚いてはいません。19節に「民衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て全ての病気を癒して頂いたから」。つまり、マタイの民衆は主イエスの言葉を自らの福音として聞き取った。が、ルカでは、弟子たちと教会を通して、全ての人々に福音を伝えるという『使徒言行録』の構図です。 |
② 幸いと不幸 |
「幸いなるかな」はマカリオイという言葉ですが、この日本語の訳はあまりよくありません。英語では「祝福された」という意味の言葉です。「幸い」とか「しあわせ」と呼ばれている言葉は、私たちの側にある事ではなくて、神が私たちに与えられる祝福としての「幸い」です。この世では、富んでいる者が「幸い」で、貧乏人は「不幸である」と考えがちです。ところが、イエスが来られる事によって、貧しい人が幸いになる世界がもたらされたのです。なぜそうなるかという事は、私たちのレベルで考えても分かりません。富んでいる人、今満腹している人、今笑っている人は「不幸だ」、全ての人に褒められる時、「不幸である」とルカは言います。ルカという人は、非常に貧しい人とか、虐げられた人とか、弱い者、異邦人、罪人に対して、好意的なのが特色です。ルカがそういう人生観とか、倫理観を持っていたというのでなく、ルカは、福音をそのように理解していました。福音の喜びは、資格のない者が、資格がある者とされる所にあるのです。 |
③ 主イエスの約束 |
主イエスは、この先の6章35節で、大きな約束をお与えになります。当時、貧しい人たちは、神から祝福された者ではなく、神から遠い存在でした。資格のない者と思われていました。が、主イエスは資格のない者を救うために、この世に来られたのです。そして弟子たちに約束しました。「敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる」と。この約束は昔も今もこれからも、ずーっと続いている主イエスの約束です。『ルカ福音書』は、クリスマスの出来事を記した時、「いと高き所には、栄光神にあれ」という天使の歌を記しました。地には「平和を」です。ここでは、その地には、平和を作るために生かされる人が、いと高き者、天に栄光を帰せられています、神の子どもとなる事が出来るという物凄いご褒美です。私たちの教会が、祝福の言葉に満ち、祝福の証しをする者たちの生活によって支えられ、お互いに暖かい愛をもって応え仕え合う、主が約束して下さるような神の慈悲を映し出す、愛の交わりの教会となりますように!今私たちは、主の愛の約束が確かにされる恵みの食卓に与かろうとしています。
マラナ・タ! 主よ、どうぞ おいで下さい!
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