主日礼拝 説教抄録  2019年度
    
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イースター(復活日)礼拝 説教 「キリストの復活」

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2019年4月21日

  ルカによる福音書 24章1~3節

「キリストの復活」 要約
① 週の初めの日(ルカ24章1節) 
 イースターおめでとうございます。私たちは復活日を迎え、主イエス・キリストの甦りの希望に与るために今ここに集ってきています。主イエス・キリストは、厳しい受難と痛み・苦しみの極みである十字架を経て、一度は死に、そして、私たちに新たな命と希望とを与えるために甦って下さいました。今朝の礼拝を通して、甦りの主が今も生きて、確実に働いていらっしゃる事を信じて受け入れ、この主に支えられつつ新しい命の輝き・交わりへと導かれたいと願います。  旧約聖書の流れをくむ三つの宗教は、週一回の「聖日」をもっています。ユダヤ教は土曜日、キリスト教は日曜日、イスラム教は金曜日です。週一回を聖日にするという事はイスラエル人たちが旧約聖書に基づいて定めました。そして週の第七日を神が天地創造を完成し休息された日として「安息日」を遵守しました(十戒の第四戒)。ルカは日曜日を「週の初めの日」と記しています。やがて日曜日は「主の日」と言い変えられ、教会は今、主の甦りの日曜日を祝うに至っています。
② 主イエスの遺体が見当たらない(ルカ24章3節)
 主の十字架まで従っていった婦人たちは、激動の日々を過ごし、悲しみに打ちひしがれ疲れて安息日(墓地に行って何かする事は禁じられていた)を静かに休みました。婦人とはマグダラのマリア(ベタニヤ村に住んでおり、主は屡彼女の家を訪ねて、もてなしを受ける事を楽しんだ)、ヨハンナ(イエスが旅をしている間、いつも一緒にいて、身のまわりの世話をしていた)、ヤコブの母マリア(常に主の側におり、主が勝利を得られる日に息子たちを重く取り立てるよう願って主に叱られた)です。愛する者の体を香料で清め、香りを添えるという葬りの手続きをし直そうと、主が葬られた墓を訪ねます。すると、ビックリ仰天!主イエスの肉体がない。慌てふためき、驚き恐れていると、神の使いとも言える「二人の人」が婦人たちに告げます。「主は復活して、生きておられる。思い出しなさい。主は十字架につけられた後、三日目に甦ると言われた事を」と。教会は、死という事実に直面しながら、甦りの信仰をもって神を讃美し、本領を発揮する所です。
③ キリストの復活
 私たちは、3月28日(木)午前2時、後藤美香さんを天国にお見送りしました。これ以上ない
立派な証し人生でした。私たちも又、若かろうが、いくつであろうが、今、日常の生き方の中で、キリストの復活に明らかに示されているような、死との闘いを引き受けていかねばなりません。否、自分で闘う必要などない。主イエスが勝っていて下さるという、堅い信仰を常に持って生きていかねばなりません。共に礼拝する仲間の、一人、また一人、神に召される体験を今後も重ねつつ、死に負けないのです。ここにいる者が皆、地上の命を終える時が必ず来ます。しかし、新たな人もここに加えられます。皆が本当の水先案内人としてのキリストを仰ぎながら、主は甦られた、主は生きて私たちの内で働いておられる、という強い確信と賛美をもって、教会の歴史を作っていくのです。今、共に預かる聖餐も、この甦りの勝利の喜びを示すものです。婦人たちは墓に行ったからこそ、キリストの復活を目で確かめる事ができました。彼女たちの祝福に満ちた証し人生に基づいて生きる教会でありたいと願います。教会は、思い出の中に生きます。思い出に生きる教会は、立つ事が出来ます。命に向かって走る事が出来ます。キリストの復活ハレルヤ!

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2019.4.22 nmk



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