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受難節第5主日礼拝 聖書箇所
日本基督教団 茅ケ崎堤伝道所
2025年4月6日
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旧約聖書 イザヤ書 63章7~14節
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7 わたしは心に留める、主の慈しみと主の栄誉を
主がわたしたちに賜ったすべてのことを
主がイスラエルの家に賜った多くの恵み
憐れみと豊かな慈しみを。
8 主は言われた
彼らはわたしの民、偽りのない子らである、と。
そして主は彼らの救い主となられた。
9 彼らの苦難を常に御自分の苦難とし
御前に仕える御使いによって彼らを救い
愛と憐れみをもって彼らを贖い
昔から常に
彼らを負い、彼らを担ってくださった。
10 しかし、彼らは背き、主の聖なる霊を苦しめた。
主はひるがえって敵となり、戦いを挑まれた。
11 そのとき、主の民は思い起こした
昔の日々を、モーセを。
どこにおられるのか
その群れを飼う者を海から導き出された方は。
どこにおられるのか
聖なる霊を彼のうちにおかれた方は。
12 主は輝く御腕をモーセの右に伴わせ
民の前で海を二つに分け
とこしえの名声を得られた。
13 主は彼らを導いて淵の中を通らせられたが
彼らは荒れ野を行く馬のように
つまずくこともなかった。
14 谷間に下りて行く家畜のように
主の霊は彼らを憩わせられた。
このようにあなたは御自分の民を導き
輝く名声を得られた。
新約聖書 ヨハネによる福音書 12章20~36節
20 さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。
21 彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、
「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。
22 フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。
23 イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。
24 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
25 自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。
26 わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、
わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」
人の子は上げられる
27 「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。
『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。
しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。
28 父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。
「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」
29 そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、
ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。
30 イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。
31 今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。
32 わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」
33 イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。
34 すると、群衆は言葉を返した。
「わたしたちは律法によって、メシアは永遠にいつもおられると聞いていました。それなのに、人の子は
上げられなければならない、とどうして言われるのですか。その『人の子』とはだれのことですか。」
35 イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、
光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。
36 光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」
(新共同訳聖書より引用)
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説教 要約
しばらくの間、休止させていただきます。 |
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