主日礼拝 説教抄録  2022年度
    
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    世界聖餐日・宣教の日礼拝  説教「床を担いで歩く」

                日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
                        2022年10月2日

  マルコによる福音書 第2章1節~12節

「床を担いで歩く」 要約
① 中風の人が癒される物語
 できなかったことができるようになると嬉しいですよね。この中に、初めから一人で自転車に乗れたっていう人はいますか?きっと初めは誰かが自転車を支えてくれたのではないでしょうか。同じように、みんなは色々なところで、誰かに支えられて、できなかったことができるようになるという体験をしてきたと思います。今朝の聖書には、中風という病気のため体を自由に動かせない人が出てきました。もう何年も、床の上に寝たきりの生活を続けてきました。そんなある日、イエス様が近くに来ていることを知ったのです。でも、体が動きません。そんな時、四人の人が中風の人の所にやって来て、床を担いでイエス様の所まで連れて行ってくれました。この四人の人にとって、中風の人は、とても大切な人だったのだと思います。イエス様は、この四人の人の信仰を見て、中風の人に「あなたの罪は赦される」(5)と言い、その後、「床を担いで家に帰りなさい」(11)と言われました。そして中風の人はその言葉のとおり立ち上がり、歩き出したのです。
② あなたの罪は赦される
 その光景に誰もが驚いたでしょう。けれど、それ以上に皆を驚かせたのは、イエス様が中風の人に言われた「子よ、あなたの罪は赦される」(5)との言葉でした。そこにいた律法学者たちはこの一言に驚き、心の中で考えました。「神おひとりのほかに、いったいだれが罪を赦すことができるだろうか」と。「罪」とは人間の心が神様から離れている状態であり、その人間の態度を赦せるのは神様だけですから、その意味でこれは正しい問いです。が、律法学者たちは気づいていませんでした。神様の独り子であるイエス様は、神様の力を持っており、「地上で罪を赦す権威を持っている」(10)のです。それからイエス様は、中風の人に、「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」(11)と言われました。「床」とは、中風の人が長年横たわっていた「床」であり、四人の人が担いでくれた「床」のことです。中風の人は癒されて起き上がることができました。もう「床」は必要ないように感じます。が、イエス様は「床を担いで家に帰りなさい」と言われたのです。
③ 床を担いで歩く
 「床を担いで…」とは、「床を置き忘れることなく…」という意味です。この物語で意外に思うのは、イエス様がすぐに中風の人を癒したのでなく、罪の赦しの宣言を先ずされたということです。罪の赦しの宣言を受けることは、人間であることのしるしだと言えます。人間は皆、罪を抱えて生きていますから、すべての人間が罪の赦しを必要としているのです。中風の人は長年横たわったままで、人間としての尊厳や喜びを失っていました。病気の人は、差別され、一人の人間として見られることのなかった時代だからです。が、イエス様は、この中風の人を一人の人間として愛し大切に思う四人の人の“必死さ”を見たのです。だからイエス様は、罪の赦しの宣言を通して「あなたは愛されているではないか」と中風の人に伝えたのです。それから、イエス様は、中風の人を癒されますが、「床を置き忘れるな」と言われました。一人で歩けるようになっても、あの苦しかった時から自分を救うため“必死になってくれた人たち”がいたこと。自分を愛してくれる人たちがいて、今の自分があること。そのことを「忘れないように」とイエス様は伝えています。私たちも沢山の愛に支えられて今があることを、忘れずに、ご一緒して参りましょう!

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牧師 三原 信惠、伝道師 細井 宏一
 更新 : 2022. 10. 1 by km.mn

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