主日礼拝 説教抄録  2022年度
    
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     復活節第3主日礼拝   説教「いつも一緒です」

                日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
                        2022年5月1日

  マタイによる福音書 第28章18節~20節

「いつも一緒です」 要約
① 福音書はキリストの伝記?
 今朝はマタイ福音書の結末部分です。福音書はよく「キリストの伝記」と説明されますが、厳格には違います。なぜならその記述が公生涯の数年にかたよっているからです。また、伝記はその人の死で終わりますが、福音書は死で終わりません。主は復活されます。だからこそ、これは「伝記」ではなく「福音」なのです。ここは、結末でありながら終わってはいない。始まりです。マタイによれば、復活は全世界に向けての伝道の始まりなのです。11人の弟子(イスカリオテのユダ以外の12弟子)は、主イエスの指示に従って(28:10)ガリラヤに行き、山の上で復活の主にお会いします。山は旧約以来、神と出会う場所です。復活によって全世界の主となられた主イエスは三つの事を命じます。全ての民を弟子とすること。彼らに父(なる神)と子(なるキリスト)と聖霊の名によって洗礼を授けること。あなた方に命じておいたことをすべて守るように教えること。そしてこの命令には確かな約束が伴います。「わたしは世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」。
② 「おしまい」ではなく、ここからが始まり
 「はじめてのおつかい」というテレビを見たことがありますか?小さい子が、生まれて初めてたった一人で、あるいはお兄ちゃんお姉ちゃんとだけでお使いに行く番組です。うまく注文できなかったり、転んだり、落としたり。見ている方はハラハラします。でも実は、傍で分からないように大人が見守っています。その子は気づいていないだけなのです。イエス様も、目に見えないし声も聞こえないけれど、いつも一緒にいるよ、と約束して下さいました。今日の聖書の御言葉は、マタイ福音書のおしまいです。でも絵本のようにここで「おしまい」ではなく、ここからが始まりなのです。十字架で死に、三日目によみがえったイエス様は、弟子たちにガリラヤへ行くように伝えてありました。死んだイエス様が蘇るなんてありえないと、復活を信じられない弟子たちもいたのです。でも、言われた通りガリラヤへ行きました。私たちにとって、この「ガリラヤ」は教会のことです。教会に来続けること、聖書のお話を聞き続けることが大切なのです。
③ いつも一緒です
 18節から20節までは、私たちキリスト者「すべて」の基本理念として、この礼拝堂の正面にいつも掲げてある聖書の言葉です。ここには、「すべて」を意味する言葉が繰り返し使われています。例外はないのです。「いつもあなた方と共にいる」の「いつも」は、「全ての日々に」という意味です。順境の日だけでなく逆境の日も、復活の主が共にいて下さる。でも、変じゃないですか?イエス様はこのあと天に帰るのです。どうしたらいつも一緒にいられるのでしょうか。「わたしはいつもあなた方と一緒にいます」とは何?どうして共にいるなんて言えるの?それが言えるのは、私たちの信じる神は三位一体の神だからです。「父」も「子」も人格的な存在として天におられながら、同時に地上の私たち一人ひとりに聖霊なる神が内在して下さいます。「父」「子」「聖霊」、三つにして一つなる神だからです。聖霊が、つないで下さいます。いつも一緒にいて下さる神、それが聖霊です。イエス様が、今度は聖霊として私たちと一緒にいて下さるのです。イエス様、父なる神様、聖霊は一つの神様なのです。一緒にいる。それはいつもあなたのことを見ていて、気持ちも知っていて、教え助けてくれるということ、ひとりぼっちじゃないということです。

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2022.4.30 by km.mn

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