主日礼拝 説教抄録  2021年度
    
印刷用PDF

 
    降誕節第7主日礼拝  説教「いちばん暗いところへ」

                日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
                        2022年2月6日

  ヨハネによる福音書 第1章4節~5節

「いちばん暗いところへ」 要約
① 神様からの光とパワーが必要
 二月に入りました。今は地球の北側の国が一年でいちばん寒い時です。なぜ、この時期になると寒くなったり雪が降ったりするのでしょう? それはその場所に、太陽の光があまり届かなくなるからです。その証拠に、地球の南側の国は今頃がちょうど真夏です。太陽の光が一年間で、あっちに集まったり、こっちに集まったりを繰り返しているのです。光が少ないと、ただ暗く寒くなるだけでなく、草や木も元気がなくなります。葉っぱが全部落ちて、まるで枯れたように見える木もあります。光が足りないと、生きる力も少なくなるからです。虫や動物にも、「冬眠」と言って、冬の間はまるで死んだように眠り続けるものがいます。勿論、人間は寒くなったからといって葉っぱが落ちたり、冬眠に入ったりしません。でも自然の生き物が暗い中で生きる力がなくなるのと同じように、私たちの心も、神様からの愛の光を十分に浴びないと、次第に生きる力が少なくなってしまいます。体が健康だとしても、神様からの光とパワーが魂に必要なのです。
光の子となる
 ヨハネ福音書は、他の福音書と異なり、冒頭が抽象的・哲学的だと感じるかもしれません。が、ストーリーだけで始まるより、読者のために核心的なキーワードを明確に紹介してくれています。「ロゴス」の本来的な意味は「言葉」ですから、それを発する側がいて、受け取り手もいます。それは私たち読者です。その言葉を聞いて理解し、消化するのです。光も同様です。光は暗い所を照らし、迷い出た者を見出します。凍てついた心を溶かします。光とは、神からの愛を見える形で表現しています。その光を理解する人が必要です。「言の内に命が」あり、それが「人間を照らす光」(4)である、という表現は重要です。単なる肉体的な命のことでなく、神様を根源とする、本質的な命のことです。神様は、暗闇を凍えて歩むような私たちを放っておけません。世界が始まる前からおられる神の独り子・キリストは、神の身分を捨て、私たちと同じ姿で地上に来て下さいました。暗闇の世界を歩む私たちを照らし、捜し出して、冷えた心を温め、生かすために。
③ いちばん暗いところへ
 皆さんは、光のまったくない世界を経験したことがありますか。沖縄には、戦争中に人々が逃げ込んだ、ガマと呼ばれる洞窟があります。戦争中には、人が死んだり傷ついたりと、とても悲しい出来事が起こったガマもあります。今から30年くらい前の事、そんなガマに入った友人の話です。(今は入れないガマが多いようです)。「途中までは、外の光が入ってきましたが、次第に真っ暗になって、懐中電灯の光だけが足もとを照らすようになりました。案内してくれた人が「懐中電灯を消してみましょう」と言いました。消すと、そこには、ただただ黒い闇が拡がっていました。自分の手さえ見えません。しばらくして電灯を付けた時のホッとした気持ちが忘れられません」と。今コロナ禍の中、オミクロン株が猛威を振るっており、私たちの心も暗くなりがちです。でも、イエス様は、人を明るくホッとさせて下さる光として、この世界に来て下さいました。私たちが暗闇を歩むのは、災害のように「外」に原因がある場合のほか、人間同士が愛を忘れ、エゴに走ってしまう罪に原因がある場合もあります。それでも、神様は、一人として見捨てずに、光で照らそうとなさいます。イエス様は、いちばん暗いところへ来て下さる真の「命の光」です。

〒253-0006 神奈川県茅ケ崎市堤19-6
TEL/FAX 0467-54-1300
日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2022.2.5 by nk

Copyright 2010 Chigasaki Tutumi Dendosho  All Rights Reserved