主日礼拝 説教抄録  2021年度
    
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    降誕節第一主日礼拝  説教「飼葉桶に至る二つの道」

                日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
                     2021年12月26日

  マタイによる福音書 第2章1節~11節

「飼葉桶に至る二つの道」 要約
① 二つの道
 飼葉桶に行きつくには、二つの道がありました。一つは、天使の歌に感激して、<羊飼い>が駆けつけた道で、もう一つは、輝く星に導かれて、<博士たち>が遠く旅をした道です。しかしなぜ神様は、御子の降誕を告知するのに、<歌声>や<星の輝き>や、違った方法を用いられたのでしょうか。人はそれぞれに、教育・習慣・伝統・趣味・職業など、すべて異なった背景を持っています。ある人に効果的であった刺激が、必ずしも他の人に同じ成果をおさめるわけではありません。受ける人が違っていれば、救い主の降誕を告げる神様の告知の手段も違ってきます。だから、神様は野に羊を守る牧人には<天使の歌>を、研究室に学ぶ博士には<輝く星>を送られたのでした。大まかに言って二通りの型の人間がいます。感情型と理性型とでも言えましょう。単純・率直・素朴で、通常の力量・才能をもつ人と、人並み優れ、多くのタラントを授けられ、非凡の才幹をもった人です。前者を<羊飼い>が代表し、後者は<博士型>に属するでしょう。
占星術の学者たち
 「占星術の学者たち」と聞くと占い師と思いがちですが、天文学者をイメージするとよいでしょう。占星術の学者たちの務めは、星の動きを観測して、農耕作物の収穫を左右する天気や自然災害を予測することでした。これを聞いた王には、治めている国の人々に常に十分な食べ物が行き渡るよう工夫し、人々を守るために活かす王と、そうでない王がいたのです。学者たちは、どんな王なら人々が幸せに暮らせるかを考え、人々の命と生活を守り、誰もがいつも安心して笑顔で暮らせるようにしてくれる王がいたら、どんなに良いかと思いました。人々を救うためなら自分がすすんで犠牲になる覚悟を持つほど民を愛する王がいたら、どんなに嬉しく心安らぐことでしょう。そのような王に会えたら、その前にひれ伏したいと思いつつ天体観測に努めるうちに、思い描いていた真の王の誕生を知らせる星を学者たちは見つけました。その王に何としても会おうと、彼らは、黄金・乳香・没薬を携えて、東の国から旅立ったのでした。
③ 飼葉桶に至る二つの道
 羊飼いたちも、博士たちもクリスマスにはそれぞれ違った道を通ってキリストのもとにまいりました。ただ羊飼いは郊外近くいましたのに、博士たちは遥かな道を、幾山河を越えて旅を続けねばなりませんでした。人生の一公理は、理性型の人は単純素朴な人よりも、キリストに至るためにより遠い道を歩かなければならないことです。しかし大切なことは、その<道程>ではなくて<到達点>です。神様は各人の容積と基準に応じてご自分を啓示し、各人の最も歩きなれた道で、出会ってくださるのです。神様は、博士に「天使の歌」を、羊飼いに「輝く星」を送ることの無益さと徒労をよくご存じでした。だから、聴く耳をもつ者には<歌声>が、見る目をもつ者には<星の輝き>が与えられました。教育がなくても素直な愛に生きる者には、<天使>が遣わされ、人生に懐疑的で客観的認識と証拠を求めて進む者には、<星>が空にまたたきました。けれどもそこに止まってはいません。降誕節のキリストは、万人に関りがあります。単純素朴な羊飼いの群れにあるか、学識豊かな博士の型に属するかを問わず、聖歌を好むか星を求めるか無関係に、天使が告げ星の導く所、飼葉桶にいます主イエスにまみえることこそ最も大切なことです。

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2021.12.25 by nk

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