主日礼拝 説教抄録  2021年度
    
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      聖霊降臨節第18主日礼拝  説教「神さまの国」

                日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
                       2021年9月19日

 マルコによる福音書 第4章30節~32節

「神さまの国」 要約
① 「からし種」のたとえ
 からし種は大きさが1ミリもない位のとても小さな種です。それが成長すると2~5メートルにまでなるそうです。「葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」(32節)は、エゼキエル書31章6節に似た表現があって、そこでは地上の大国の姿として描かれています。ここでは、初めの姿からは想像もつかないほど大きくなり、その枝に鳥たちが命を宿らせるほどに成長するありさまに、「神さまの国」が重ねられています。またからし種について「地上のどんな種よりも小さい」(31節)と表現されています。他のものとの比較によって、その小ささを強調しているのです。しかも「からし種」は原語では単数形です。口語訳聖書は「一粒のからし種」と訳しています。小さい上にたった一粒となれば、もはや人の目にも容易に留まりません。しかし、神の国はこの「小さな一粒のからし種」から始まると言われます。イエス様の言われる「小さな一粒のからし種」とは、「神の国は近づいた」と言ってご自分を世に表されたイエス様のことなのです。
からし種一粒ほどの私たちの信仰
 米粒よりも小さな種を植えました。水をあげて、肥料もあげて、大きく育つようにお祈りします。私たちが種を植えて世話をしても育てて下さるのは神さまです。やがて小さな種は根と芽を出し、葉っぱを開き、ぐんぐん伸びていき、きれいな花を咲かせました。そして、花が終わるとその後にたくさんの種ができていました。からし種です。極々小さな一粒のからし種、それが芽生え育って、天の小鳥たちが巣を作るほどの一本の木になる。神さまの国はこれと等しい、いや神さまの国そのものだと言うのです。からし種は「大地の上のあらゆる種の中でも最も小さいが」という句を付け加え、「どの野菜よりも大きく」成長し、巨大な枝を張ると、蒔かれた当初の極小(見えない隠されたさま)と成長を遂げたときの極大(見事な偉大さ)の対比を一層際立たせています。神の国は、思いを越えた(限りなく命を与える)生命力、生成力(生成愛)の充満した現実なのです。この現実が、あの小さな一粒のからし種に起こる事態にたとえられているのです。
③ 神さまの国
 イエス様が「神さまの国」をたとえで語ります。このイエス様と聞く者の愛と信頼の交錯、出会いの中で、人の心の奥底に等しく潜む感受性(自然の声、人の声、そして神さまの声を聞く感性)、想像力(霊性)は、目覚め、働きはじめるのです。神さまの国のイメージ、リアリティーが一人一人の中で膨らんでいって、いつしか、神さまの国は、実は一番遠いようで、一番身近なことだったのだ、と分かってくるのです。神さまは小ささの中にご自分の恵みを現わされます。イエス様が誕生されたベツレヘムは小さな町でした。でも神さまのご計画の中では小さくありませんでした。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現われ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(フィリピ2:6~8)。思えば、イエス様ほど小さくなられた方はありません。大きいはずの神さまが十字架で死なれるほどに小さくなられたのです。罪の私たちを救い、神の国に入れるためです。小さくなられたイエス様の救いの恵みにあずかって、私たちは神さまの国の交わりに生かされているのです。

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2021.9.18 by nk

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