主日礼拝 説教抄録  2021年度
    
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   聖霊降臨節第16主日礼拝  説教「悲しみはもうおしまい」

                日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
                       2021年9月5日

 マルコによる福音書 第2章21節~22節

「悲しみはもうおしまい」 要約
① 徴税人レビの家にて
 レビは徴税人です。税金を集める仕事です。だけどズルをして決まりより多くお金を取ってしまう人もいたので、皆から嫌われていました。ある日「私についておいで」と優しく声をかける人が現われました。イエス様です。そんなの初めてですから、レビはうれしくてイエス様とお弟子さんを食事に招待しました。徴税人の仲間たちも誘って、イエス様のことを紹介しました。「イエス様に会えて良かったね。うれしいね。もう悪いことはやめようね」。皆で食事をしながらニコニコ顔でそう言っていました。でも、それを不思議に思う人たちがいました。その人たちはレビのお家に入ってきて、「イエス様、ヨハネ先生のお弟子さんとファリサイ派の人たちは断食をしているのに、なぜイエス様のお弟子さんたちは断食しないのですか?」と言ったのです。断食って、食事をしないことです。食べないとおなかがすきます。ずっと続けると苦しくなります。その苦しい思いに悪い心の自分を悲しむ気持ちを重ねて神様に「ごめんなさい」とお祈りをするのです。
断食の問題
 食を断ち、罪の悔い改めを示し、神様に心を集中させて祈るのは、律法の定める大切な業です。「贖罪日」と呼ばれる日には国をあげて断食が行われていました。ヨハネの弟子やファリサイ派は日常的に断食を行っていました。けれども、イエス様や弟子たちは断食をしません。それどころか徴税人や罪人たちと楽しく食事をしています。なぜ?イエス様の答えは三つ。結婚式に呼ばれた客は花婿がいるのに断食はしない。古い服の穴をつくろうのに新しい布は使わない。新しいぶどう酒は古い革袋に入れない、です。そのうち、今日の箇所は(2)と(3)です。新しい布は水にさらすと縮むので、継ぎ当てとして使うと古い服を駄目にしてしまいます。また新しいぶどう酒は、新しい革の伸びる性質を生かして新しい革袋に入れて発酵させます。だからすでに伸びきった古い革袋に入れると革袋がぶどう酒の力に負けて敗れてしまうのです。これらのたとえでイエス様は、古いものと新しいものとでは釣り合いが取れないことを示しておられるのです。
③ 悲しみはもうおしまい
 イエス様の言われる新しいものとはイエス様ご自身です。誰でも毎日、悪いことや間違ったことをするわけではありません。でも、ずっと良いことだけをしている人もいません。だからヨハネの弟子やファリサイ派の人たちは自分の罪を悲しんで、神様に悔い改めるために日常的に断食をしたのです。ならば、私たちも断食をして悲しまなければいけないのでしょうか。親や兄弟と喧嘩したり、友人や同僚に突っかかったり、後で、そんな自分に、ため息が出ることはないですか。でもそんな時、がっかりしなくてよいのです。罪を神様の前に贖い、赦しを与えるために世に来られたのがイエス様です。悪い心を持っている私たちを赦して救って下さるイエス様がいるから大丈夫です。そのイエス様が私たちと一緒にいて下さるのですから、もう罪を悲しんで断食しなくても良いのです。むしろ赦されたことを喜べばいいのです。イエス様は「新しい酒は新しい革袋に入れるものです」と言われました。断食をして悲しむのはもうおしまい。今は喜びの時です。朝が来ているのにカーテンを閉めているとお部屋が真っ暗です。悲しんで心を閉めたままにするのでなく、朝の光より明るくて暖かい愛で私たちを包んで下さるイエス様を迎えましょう

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2021.9.4 by nk

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