主日礼拝 説教抄録  2021年度
    
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     聖霊降臨節第8主日礼拝  説教「わたしは望む」

                日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
                       2021年7月11日

 マルコによる福音書 第1章40節 ~ 44節

「わたしは望む」 要約
① 重い皮膚病の人 と イエス様
 病気にはいろいろな種類があります。中でも皮膚の病気というものは、とてもこわがられていました。また、その病気になった人は差別されてもいました。日本でもそうした病気の一つである「ハンセン病」にかかった人が、社会から仲間はずれにされ、ひどい目にあわされてきたという悲しい歴史があります。さて今朝は、重い皮膚病にかかった人が登場します。この人はイエス様のところに来て「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言いました。「清くする」とは、病気を治すということです。が、それだけではありません。イエス様の時代、重い皮膚病にかかった人は家族や友人から離れて生きていかねばなりませんでした。この人は「その苦しみからも救って下さい」とお願いしているのです。イエス様はその人を見て深く憐れみました。この「憐れむ」というのは相手のことをかわいそうに思うという意味ではありません。その人が苦しんでいる様子を見て、心を激しく揺さぶられる意味です。
「よろしい。清くなれ」41節
 イエス様は、そういう苦しむ人、悲しむ人をご覧になって、同じ思いになり、とても心を痛められ、憐れまれました。同時に、この人を助けず、顧みようともしない社会全体に「怒り」を覚えられました。その上で、イエス様はこの人に言われました。「よろしい。清くなれ」。実は、この「よろしい」には「わたしもそう願う」とか「わたしは望む」という意味もあります。イエス様はその人が苦しんでいるのを、シッカリ受け止めて下さいました。そして、病人を深く憐れんで下さるイエス様は、そうして苦しんでいる人たちをご覧になって、同じ思いになって下さいました。「辛かったね。苦しかったね。でも、もう大丈夫。わたしはあなたがこれ以上苦しまないことを心から望んでいる。清くなれ」とおっしゃって、病気をきれいに治して下さいました。この言葉は患者だけのものではなく、不当な扱いを受け、虐げられるような境遇に置かれて喜びや希望を奪われたすべての人の声を代弁しているのではないでしょうか。
③ わたしは望む
 私たちは誰でも医者のいらない健康体でありたいと願います。が、どんなに自分で健康体であろうと望んでも、人生には種々の病気がやってきます。現在健康な人も、突然のように病気やけが、故障とつき合わなければならなくなるかも知れません。老化や老衰はすべての人に例外なくやってきます。マルコ福音書は、いやしの記事がとても多いです。そこで描かれるイエス様のいやしは、解放、ときはなし、許しです。イエス様は実に信頼できる医者です。そして自分の病気の恐ろしさを知り、それを見つめ、それに耐え、いやしを求める病人を招いておられます。イエス様が「よろしい」と言われる時、「神様も、人がそのような苦しみの中にとどまることを認めるわけにはいかない、あなたが一人の人間として重荷を背負わずに生きることをわたしは望んでいる」という思いが込められています。「重い皮膚病の人」とイエス様の出会いは、二千年前、ただ一度、起こった出来事ではありません。イエス様は私たちに先駆けて、一人ひとりの苦難から解放される道を示し、私たちにいやしを与えて下さいました。主の望まれることを更に広げていくことが今、求められているのではないでしょうか。

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2021.7.10 by nk

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