主日礼拝 説教抄録  2021年度
    
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       聖霊降臨節第5主日礼拝  説教「黄金律」

                日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
                       2021年6月20日

 マタイによる福音書 第7章7節 ~ 12節

「黄金律」 要約
① 求めよ! 探せ!
 何か一つうまくいった時、「よし、もっとやってみよう」と<やる気>になります。うまくいく見通しがついた時も同じです。事がうまくいかず見通しもたたない時は、「やっぱりダメだ、どうせダメだ」という力に支配され落ち込んでしまいます。そうならない秘訣をイエス様は教えてくれました。第一は「求めよ」と言います。そうなりたいと<本気>で希望しなさいと言うのです。「うまくいけばいいなぁ」という軽い気持ちで片足だけかけているような中途半端な気持ちでは、結局、何も得ることはできません。両足をそろえて、自分の全てをかけて「私はこうありたいのだ」という願いをハッキリ持って事に当たれば、そこから自然に「やってみよう」という力が腹の底から湧いてくると教えています。第二に「探せ」と教えます。何をどうしたらよいか簡単には分からなくても、願いが本物であれば、ありとあらゆる道を探し続けるでしょう。そこから「どうせダメだ」という思いをはねのける力が湧いてくるのです。
門をたたけ!
 第三は「門をたたけ」です。ようやく探し当てても目の前で閉じられていて入ることが出来ません。イエス様は、門を打ち破れとか、壁を乗り越えろとか、言っていません。「門をたたけ」とは、ノックせよ、という意味です。一度や二度でやめないで、門が開くまでノックし続けるのです。そうすれば、必ず向こう側から開けてもらえます。誰が開けてくれるのでしょう。勿論、私たちの天の父なる神様です。すべて求める者は得、探す者は見出し、門をたたく者は開けてもらえるのです。イエス様は、すべて自分の力で切り開いて行けと言ってはいません。父なる神様が力を与えてくれ、道を教えてくれ、門を開けてくれることを信じて、ひたすら祈れということです。子どもが自分の親の愛を確信している時には実に強いものです。信じられなくなれば、たちまち弱くなってしまいます。不完全な人間の親でさえこれ程の力を持っているとすれば、天にいます父はそれ以上の愛の力を持っておられないことがあるでしょうか。
③ 黄金律(ゴールデン・ルール)
 マタイ福音書7章12節は昔から黄金律といわれている有名な教えです。イエス様は、自分にしてほしいと思う事を人々に力ずくでさせようとなさる方ではありません。旧約聖書以来の「無きに等しい者を選ぶ」神の恵みに生きられたからこそ主は、私たちにこの黄金律をお与えになりました。それは何よりも、主における、神の歩みそのものです。「これこそ律法と預言者である」とは、その事を語ります。背き続ける者に尚、慈しみを現わし続けた神の歴史そのものです。エゼキエル書37章は枯れた骨が肉を与えられ、命を与えられる幻です。神の息(神の力、聖霊)が、これを蘇らせる幻です。聖霊によって黄金律は、死んだ冷たい黄金ではなく、人を生かす、真実の命を持つ黄金になるのです。その時、王の富の一部をさいて、黄金の文字として、これを壁に記し直す必要はありません。なぜなら私たちの魂に、肉体に「黄金律」は刻み込まれるからです。神の霊の筆が私たちの中に書き込んで下さるのです。たとえ誰も報いてくれなくても、その人に必要と思う事を成し得るようになるのです。キリストの十字架と蘇りの命は私たちの存在深く打ち建てられ、私たちを包んでいるのです。

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2021.6.19 by nk

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