主日礼拝 説教抄録  2020年度
    
印刷用PDF


     受難節第2主日礼拝 説教「赦される」

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2021年2月28日

 マタイによる福音書 第12章22節~32節

「赦される」 要約
① 聖書を知る
 今日の箇所は、「ベルゼブル論争」と呼ばれる箇所です。ことの発端は、主イエスが「目が見えず口の利けない」(22)身体の不自由な人を助けたことでした。人々はみな驚いて、「この人はダビデの子ではないだろうか」(23)と言いました。「ダビデの子」とは、救い主の称号です。人々の反応は素直です。奇跡を見て、この方は来るべきメシアではないか、と思ったのです。が、ファリサイ派の人たちは、主イエスに「神の霊」が働いたことを認めようとしません。彼らは、自分たちこそ神の御心を知っていると自負していて、主イエスに敵意を抱いています。主イエスの働きに神の力を認めると、自分たちの立場が揺らぐことになります。主イエスへの対抗心や妬みの思いもあったのでしょう。ファリサイ派の人たちは、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」(24)と言います。彼らは、主イエスに特別な力が働いていることは認めます。けれど、それは「神の霊」ではなくて、「悪霊の頭」の力によると判断したのです。
聖句を思いめぐらす
 ファリサイ派の人たちの非難に対し、主イエスは、「サタンがサタンを追い出せば、それは内輪もめだ」と反論し、「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば」神の国(神の恵みの支配)は始まっている、と指摘します。主イエスは続けて、重大な事を語ります。31,32節です。「人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、“霊”に対する冒涜は赦されない。人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない」と。「人の子(主イエスの自称)に言い逆らう者は赦される」とは、主イエスに反抗する者も、なお主の慈しみの御手の中にあるという語りかけです。聖霊は、今ここで働く神の霊です。主イエスの赦しに「アーメン」と応えて身を寄せるのは聖霊の力によります。主イエスは、この聖霊の促しを否むことへの警告をされました。これは、ファリサイ派の人たちだけでなく、私たちへの警告でもあります。主イエスは、ご自身を否定する者にも許しの御手を伸べられる方です。
③ 赦される 
 正宗白鳥の小説に『一つの秘密』という作品があります。白鳥は青年時代に熱心に教会に通い、19歳の時に洗礼を受けました。そして教会学校の教師をしました。が後に教会を離れます。教会を離れてからは、イエスのことが気になりながら、ファリサイ派の人たちのように、イエスの悪口を言ったりしていました。やがて彼の妻が教会に通い出し、洗礼を受けました。でも彼は教会に行きませんでした。長い年月が経ってから「人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦される」という聖句が思い出され、これは聖霊に促されていると確信し、主の言葉をシッカリと受け止め教会に戻り、それからは、本気で主イエスの弟子としての業に励みます。やがて彼は亡くなり教会で葬儀が行われました。正宗白鳥は、心の奥に抱えていた「一つの秘密」、即ち人に言えない罪を神に委ね、すべてを赦していただいて、その生涯を終えたと私は思っています。私たちも、迷う時があります。「自分のような者はダメだ」と投げやりになることもあります。でも、どんなに迷っても、どんな秘密があっても、主イエスに「お任せします」と申し出てよいのです。聖霊の促しを受けたら主イエスの許に戻りましょう。主イエスは、必ず赦し、温かく迎えて下さいます。

〒253-0006 神奈川県茅ケ崎市堤19-6
TEL/FAX 0467-54-1300
日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2021.2.27 by nk

Copyright 2010 Chigasaki Tutumi Dendosho  All Rights Reserved