主日礼拝 説教抄録  2020年度
    
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      アドヴェント第三主日礼拝 説教「さし示す指」

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年12月13日

 ヨハネによる福音書1章29~42節

「さし示す指」 要約
① 荒野の預言者ヨハネ
 荒野の預言者ヨハネが「わたしはキリストではない」と告白し、彼自らは先駆者に過ぎないことを包みかくさず明白にした時、彼は主イエスをさし示す準備を整えていました。ヨハネは多くの人々に囲まれた人気絶頂のとき、既に来るべき主イエスを知って「あの方は栄え、わたしは衰える」(ヨハネ3:30)とあかしする姿勢を整えていました。だからやがて主イエスが彼の前に来られた時、躊躇することなく主をさし示して、ヨハネは申します、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(1:29)、「見よ、神の小羊だ」(1:36)と。自分をへりくだったヨハネは「その人の靴のひもを解く資格もない」と自己評価しますが、結局彼の弟子が二人も彼を離れて主イエスについて行ってしまいます。その一人は後でシモン・ペトロをキリストに導いたその兄弟のアンデレですが、もう一人の名はわかりません。おそらくこれが「イエスの愛しておられた弟子」ヨハネだろうと言われていますが、いずれにせよ、彼らはこの時に洗礼者のもとを去ったのです。
ラファエロの名画「聖家族」、「荒野のヨハネ」
 イタリア中部のトスカーナ地方の中心都市、またルネッサンス文化の中心地でありました、花の都と言われるフィレンツェは、芸術の都としても大変有名です。そこには非常に芸術性の高い建築物が多くあります。美術品の宝庫と言えましょう。その中の、ピッティ美術館とアカデミア美術館の二つに、あの大層著名なラファエロの「聖家族」という名画と、「荒野のヨハネ」と題する代表作が見られます。「聖家族」はピッティ美術館にあり、「荒野のヨハネ」はアカデミア美術館に展示されています。これは絵はがきにもなっていますので、それを通してご存じかも知れません。フィレンツェを訪ねる者の一つの目玉になっており、まさに名画中の名画と言われています。「聖家族」の方は、母マリアに抱かれた幼な子イエスを、少年バプテスマのヨハネが指差しているところです。「荒野のヨハネ」の方は、少年バプテスマのヨハネが、指を天に向けて差しているところです。これは何れもバプテスマのヨハネの<指>ということです。
 
  
  
聖家族

③ さし示す指  


       「荒野の洗礼者ヨハネ」

 中世の画家たちは、たとえばグリューネヴァルトやメムリングのように、洗礼者ヨハネを画いた時に「指さす者」として、その人さし指に特徴を与えました。その頃、広く言いひろめられていた迷信的な伝説「ヨハネが主を示した指は、彼が首を切られ遺体を火葬された時にも焼けなかった」というバカげた話は捨てておくとしても、彼の「人さし指」の生涯は、そのままに私たちキリスト者の生き方を表しています。「人さし指」とは「道しるべ」の矢印と同じ事です。大切なのは「正しくさし示す」事です。矢印の長さや色や形は問題ではなく、その命は「方向」です。心ない登山者がいたずらで道しるべの向きをかえた時、後から来た者が遭難するかも知れません。映画館に掲げられた出口やトイレへの道を示す矢印や、一方通行を示す矢印ではありません。私たちがキリスト者であるとは、私たちの生活全体がキリストを「指さす者」であるということです。その命の長短や、貧富貴賤にかかわりなく、正しくキリストをさし示し、それを見る者が誤りなく主に従う者となる事のできるような生涯を送りましょう!今ここに坐す私たちの全生涯が、言葉も業もすべてのものが、ただ主イエス・キリストをさし示すものでありますように願います。

〒253-0006 神奈川県茅ケ崎市堤19-6
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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2020.12.12 by nk

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