主日礼拝 説教抄録  2020年度
    
印刷用PDF


    聖霊降臨節第5主日礼拝 説教「人間を生かす糧」

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年6月28日

 ヨハネによる福音書6章22~35節

「人間を生かす糧」 要約
① 「永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」27節
 パンと魚の奇跡は人々に大変な衝撃を与えましたが、イエスは「はっきり言っておく。あなた方が私を探しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」。即ちイエスが神の子、救い主であると信じて探しているのではないと、群衆の心中を見抜いておられます。そのような群衆から逃れた主は27節、「朽ちる食べ物のためでなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」と示します。永遠の命に至る食べ物とは、35節以降で「私は命のパンである」と語られたイエス・キリストご自身の事です。主イエスの御心です。つまり「主イエスの御心のために働きなさい」と示しておられるのです。十字架と復活によって私たちの罪を贖って下さり、私たちを神様の子供として下さり、私たちに永遠の命を与えて下さったキリストこそが私たちに必要不可欠な命のパンであり、私たちの肉体はもとより、より深く霊の必要を満たして下さる方です。私たちが本当に求めるべき方は、主イエスキリストなのです。
② 「わたしが命のパンである」35節
 彼らが朽ちてなくならない食べ物を要求した時、主イエス・キリストは「エゴー・エイミー・ホ・アルトス・テース・ゾーエース」と宣言しました。「私が命のパンである」と訳された言葉です。ユダヤ教のユダヤ人たちの文書であるラビ文献では「他ならないこの私がそのパンである」という言葉となっています。パンは、ラビ文献では律法の象徴ですから、「私が命のパンである」と表現された言葉の意味内容は、「他ならないこの私があなた方の律法である」と言うのと同じです。更に言うならば「他ならないこの私が、あなた方の新しい戒め、新しい律法そのものである」という宣言がここでなされているというわけです。これまで律法の支配下にあった人々が、律法が廃止されるのではなく、ユダヤ教社会における従来の正統的律法を成就、完成させるためにイエスによって新しい律法が与えられる、今がその時である、と、主が言っておられるのです。新しい判断基準、究極的な善悪の判断の規範が与えられるという事なのです。
③ 人間を生かす糧
 主は「私が命のパンである」に続いて「私のもとに来る者は決して飢える事がなく私を信じる者は決して渇くことがない」と約束されました。主を100%信頼すると、人間はどう変わるのか?海の上を歩かれたイエスが「私だ。恐れることはない」と言われた時に「主よ、あなたでしたか。私はあなたを信じます」と言えるようになるという事です。人生の嵐の海の中での出来事に「主が一緒にいて下さるから怖くない」と、死の壁に対面しながらも言えるようになるという事です。主を疑わないという事です。出来そうもないと思う所で、しかし主なら出来ると全てを主に委ねる事が可能になるのです。主は「人間を生かす糧」です。もっと深く、もっと広く、もっと大きな事が私たちと主イエスとの間に起こるのです。主は言われます。「どうぞ永遠の命、私の命を分け合うための働きをしてほしい。どうぞ信仰を持ってほしい。私の与えるパンとぶどうの杯を受けてほしい」と。私たちは自分の肉体の糧のためにだけ生きているのではありません。私たちのこの身も心も魂も神によって与えられ、今日まで生かされて来たのです。これからも神のまなざしの中で生かされるのです。真実の愛の業に生きましょう!永遠の命の糧を得て働きましょう!

〒253-0006 神奈川県茅ケ崎市堤19-6
TEL/FAX 0467-54-1300
日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2020.6.27 by nk

Copyright 2010 Chigasaki Tutumi Dendosho  All Rights Reserved