主日礼拝 説教抄録  2019年度
    
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棕櫚の日・復活前第1主日礼拝 説教 「キリストの埋葬」

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年4月5日

   ヨハネによる福音書19章31~42節


「キリストの埋葬」 要約
① 十字架の後で
 今朝のテキストは「イエス・キリストの十字架の死」の後の場面です。十字架で処刑された人間は、数日間、あるいはそれ以上、そのままの状態でさらされるのが普通です。場合によっては、処刑者の足の骨を叩き折り、死期を早める事もありました。聖書によれば、イエスも足の骨を折られようとした所、既に死んでいたので、そのまま十字架から降ろされたとあります。どの福音書を読んでも、主イエスの遺体を引き取ったのは、弟子たちではありません。ヨハネ福音書では、この場面にアリマタヤのヨセフとニコデモという二人の人が登場してきます。この二人はユダヤ人社会の有力者でした。彼らは主イエスの遺体を引き取り、埋葬の準備をし、墓に葬りました。40節に「彼らは…ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ」とあります。遺体に香油を塗り香料を添えるやり方は、主がベタニアのラザロの家でマリアからナルドの香油を注がれた出来事を想起します。主は公生涯の初めから既にこの時が来るのを予期していたのです。
② イエスの生と死
 福音には、それが本来の形で真実に宣べ伝えられ、受け取られ、私たちがそれに生きるならば、すべての人間とこの世界を根本から変革する力があります。エルサレムにおいて、イエスの生涯の最後の数日間に起こったもろもろの出来事は、主イエスの福音と悪魔の戦いがクライマックスにまで達した事の記録でもあります。木曜日の晩にゲッセマネで起こった事。大祭司の家や総督官邸で行われて裁判。そして受難の金曜日の十字架。ここでは、悪霊が最後の力を振り絞って、神の独り子を死に至らしめようとする激烈な戦いが展開されています。主ご自身も、このような戦いがやがていつか訪れるであろう事をご存知だったと思います。だからベタニアで香油を注がれた時、それがご自分の葬りの用意となる事を洞察されたのです。主のご生涯は、死を意識しながらの、死に向かって進んでいかれた歩みでした。勿論、人は皆、死に向かって歩んでいますが、そういう意味ではなく、神の独り子、救い主としての覚悟をもって歩み通した生涯だったのです。
③ キリストの埋葬
 そのようにして来るべくして来たキリストの遺体は、アリマタヤのヨセフとニコデモによって十字架から降ろされ、香料を添えた亜麻布で包まれ、墓に葬られました。既に何日か前にベタニアでマリアが始めたイエス・キリストの埋葬の仕上げを、この二人が行ったのです。十字架は、人を殺し、命を奪うための道具です。十字架そのものは、決して救いではありません。それは死と滅びのシンボルであり、人間が人間に対して犯す罪のシンボルです。それはまた、神の独り子がそれによって殺された故に、人間が神に対して成し遂げうる最大の攻撃、最大の罪のシンボルとなったのです。しかしまた、逆に言えば、十字架こそが、そうした人々や悪魔の持ち出しうる最後の手段であり、これこそが罪と死と滅びの最後のシンボルであり、もはやその先には何も持っていなかったという事もまた事実であるのです。主イエス・キリストは、三日目に復活します。三日後「新しい世界」が静かに、着実に、そして決定的な形で始まった事を告げる福音が私たちのもとに届けられるのです。「レントの最後の日々。深まりゆく闇と、墓の中に納められた主イエス・キリストの遺体を心に覚えながら、復活の朝、「三日目の朝」を待ち望もうではありませんか。

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2020.4.5 nk


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