主日礼拝 説教抄録  2019年度
    
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降誕節第8主日礼拝 説教 「語りかけるイエス」

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2020年2月16日

   ヨハネによる福音書4章3~15節


「語りかけるイエス」 要約
① イエスが「サマリアを通らねばならなかった」(4節)理由
 主イエスはユダヤを去って、再びガリラヤへ向かいます。ユダヤからガリラヤへは、サマリア経由で行くのが一番の近道ですが、ユダヤ人はサマリア経由を避ける慣わしでした。主イエスに急がねばならぬ理由はありません。が、イエスはサマリアを通り、そこに3日も滞在されました。とすれば、この「ねばならぬ」は、神の「ねばならぬ」です。神が、普通なら避けて通らぬサマリアを通るように命じられ、主はそれに従われたという事です。主はサマリアで女に出会うであろう事、このような対話になるであろう事を、あらかじめ知っておられたわけではありません。むしろ、その時その時に、これが神の求めておられるところだという事を認識されていたのです。イエス一行はシカルという町(ヤコブがその子ヨセフに与えた土地)に来ました。そこには<ヤコブの井戸>がありました。ヤコブの井戸は深さ35m直径2m、主イエスの時代から今もなお水が湧き続けています。主は旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた、正午頃の事です。
② イエスとサマリアの女との対話(7節以下)
 サマリアの女が水を汲みに来ました。普通、水を汲むのは早朝か夕方です。彼女は人目を避けて「水汲み」に来たのです。イエスは女に「水を飲ませて下さい」と語りかけます。女はビックリ仰天。「ユダヤ人のあなたが私に水を飲ませてくれと頼むのですか」と逃げ腰です。彼女は初め、主の言葉の本当の意味が分からなかったのですが、主は諦めません。対話するうち、次第に彼女の心に、良心のうちに、ますます深く沁み通って行きます。主イエスは、二度と再びみだらな生活を送ってはならないという戒めと共に、彼女を去らせようとはなさいません。それどころか、先ず父なる神の礼拝について、次にご自身の救世主としての使命について、汲めどもつきぬ真理を彼女に明かされます。主イエスは、このサマリアの女(若いうちに五回も結婚し、五人目の夫を葬ってもまだ満足しないばかりか、今また結婚という正式な手続きをふまず、男と同棲している女)に最も大切な真理を示されます。イエスとサマリアの女との意義深い出会いの瞬間です。
③ 語りかけるイエス
 人間は、誰でも人生に<渇きの現実>があります。私たちだったら、このサマリアの女のような女性を、救いがたい人間と考えて、避けるか、無視するかしたに違いありません。が、主は、ご自分の方からこの女性に語りかけました。しかもイエスは回心者たるべく彼女をお選びになり、罪を告白するように、しむけられました。サマリアの女性が「主よ、渇くことがないように、また、ここに汲みに来なくてもいいように、その水をください」と叫んだ前と後では全く違います。これまでの彼女の毎日は意味なく、価値なく、精神的に空虚な日々でした。身も心も常に渇いていました。しかし不思議です。毎日の水汲みの時が今や、主との出会いを反芻する楽しい喜びと輝きの時に変わりました。空虚で骨の折れる水汲みの業も主イエスが共に担って下さる思いで、ルンルン気分で終えるようになりました。あなたも、過去の、どうしようもなく途方に暮れる毎日に訣別できます。そのためには、「霊と真理をもって父に礼拝を捧げる事」が求められています。神は霊です。いつも<信仰と希望と愛>をもって、明るく笑顔を忘れずに前進して参りましょう!シカルのサマリアの女はその後、どうしたと思いますか。彼女は最初の女性宣教師になりました。

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2020.2.16 nk


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