主日礼拝 説教抄録  2019年度
    
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クリスマス礼拝 説教 「マリアの大急ぎ

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2019年12月22日

   ルカによる福音書1章26~45節


「マリアの大急ぎ」 要約
① 天使による『受胎告知』に対する、「マリアの応答」
 マリアの最初の応答は、「マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ」とあります(29節)。人間として当然の反応と言えましょう。マリアの第二の応答は、直接『受胎告知』に対するもので「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」でした(34節)。これも人間として、当然の反応と思われます。そこで天使はマリアに、親戚にあたる老女エリサベトの懐妊を告げます。これがイエスに先立つ洗礼者のヨハネでした。「不妊の女と言われていたのに、もう6か月になっている。神にはできないことは何一つない」(36,37節)と天使は告げました。これに納得したかのように、彼女の第三の応答、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(38節)の声が聞こえてきます。立派な答えです。それから聖書には「その頃、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した(39-40節)と続けられています。
② マリアは何を急いだのか
 私たちはマリアを神聖化していないでしょうか。あるいは又、ユダの町とガリラヤの町との距離感や地理的事情を無視してはいないでしょうか。私たちが「急いで行って来る」という時は、ごく身近な範囲に限られている筈です。が、ユダの山里、ザカリアの家はエルサレムの西5キロのアイン・カレムにありました。ガリラヤのナザレからは直線距離でも100キロ以上、アフラ、セバスチア、シカル、ラマラ、エルサレムと屈折した瓦礫の山の尾根の道、普通でも3~4日かかる道。そんな危険を伴う険しい山道を女一人で、何故急いだか?マリアの応答を、もう一度、(戸惑い→懐疑→信仰告白)振り返ると、立派な信仰告白をした後、改めて不安と不信が戻ってきた。この不安と不信を拭い去るには神のしるしを見る事。即ち、マリアの懐疑的な第二の応答の後、天使が告げたエリサベトの受胎の確証を得る事、不妊の女が現在は6か月、今はユダの山里にいる。そう考えると、いてもたってもいられなくなったマリアは「急いで」アイン・カレムに向かったのでした。
③ マリアの大急ぎ
 目的地に着けば当然の挨拶です。その時、二つの事をマリアは体験します。一つは懐妊のエリサベトの身体を直視して、天使の言葉の確証を得た事、これがマリアの疑い迷いを即座に氷解させました。二つはエリサベトによる更なる証しです。マリアが主の母である事、胎内の洗礼者ヨハネが喜んで踊った事をマリアに告げました(42~45節)。確証に新しい確証が追い討ちをかけた形になりました。その時、マリアの口から、いわゆる「マリアの賛歌」が歌われます。あの格調高い賛美と告白。これを美しいオラトリオ「マグニフィカート」に作り上げたのがJ・S・バッハです。ルカ1章47~55節にある賛美の歌です。アイン・カレムの『訪問の教会』の庭の壁には、『マリアの賛歌』が46カ国語で(勿論日本語も)刻まれています。世界中で愛されている讃美歌です。一度した告白の後でなぜ疑い、と問うてはなりません。ペトロも、トマスも、洗礼者ヨハネも、そして私たちも、人生は繰り返し寄せてくる荒波の中で、神への問いかけの連続です。それにも拘らず、まず告白、まず洗礼、まずキリストに従うのです。弟子たちもマリアも、まず歩みを始めた人たちでした。神は常に確証を与えながら導いて下さいます。信じていきましょう!

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牧師 三原 信惠
 更新:2019.12.22 nk


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