主日礼拝 説教抄録  2019年度
    
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降誕前第9主日礼拝 説教 「天国の業の担い手」

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2019年10月27日

 出エジプト記23章4~13節 ルカによる福音書13章10~21節


「天国の業の担い手」 要約
① 神の国(天の国、天国) 
 「神の国」とは、神の愛の支配がこの世界にあまねく実現する事です。それがイエスの到来、そして、その活動と共に始まりました。現時点では未だ完成していませんが、やがて完全に実現すると約束されている新しい秩序の事です。従って、神の国は、単なる理想の国(ユートピア)ではありません。ユートピアとは、トポス(場所)に否定語をつけた言葉で、「この世のどこにも場所を持たない国、夢の国、理想の国」の事を意味し、神の国ではありません。イエス・キリストの招きによって弟子とされた人々は、この「神の国」運動、宣教の働きの中に巻き込まれていきます。彼らは地上のイエスの後に従い、十字架の苦難を目撃し、復活されたキリスト・イエスによって、神の国を証しする使命を与えられ、全世界へと遣わされていきました。そして今、その働きの内に加えられているのが他ならない私たち一人ひとり、そして教会、この礼拝です。主イエスが始めて下さった慰めの礼拝の歴史は続いていきます。ここに「神の国」があるのです。
② 安息日の過ごし方(出エジプト記23章12節以下)
 礼拝の席に18年間、体が曲がったままの女がいました。イエスは女を見て呼び寄せ「婦人よ、病気は治った」と手を置くと、女の中に既に現実になっている神の力があるので、手を置いただけで体がまっすぐになり、女は神を讃美し始めました。礼拝の責任者である会堂司は、「働ける6日の間に来なさい。安息日はいけない」と抗議します。これに対しイエスは、「安息日には働かなくて休む。その通りだ。が、あなたの牛やロバが今、水を飲ませなかったら死ぬかもしれないと思う時には飲ませるだろう。なぜ、この女が18年も飢え渇いたまま生き続け、あなた方の隅に見捨てられたままでいるのを黙って見ているのか」と、正しい安息日の過ごし方を示されました。出エジプト記の戒めを忘れ、牛やロバをいたわるに勝って傷ついている同胞をいたわる心を忘れた時、人は神の国の支配の中にあり乍ら自分を失う。主は女を救うためにだけ来たのではない。真に救われるべき者は、女であるよりも、むしろ会堂司であり、会衆であると戒められました。
③ 天国の業の担い手
 主イエスは、ご自分の説教、ご自分の癒しの業、ご自分がなさった小さな礼拝から始まる神の国の歴史の、今ここにおける担い手として、私たちを選んで下さいました。私たちは、年齢や性別に関係なく、学問や財産の有る無しに関係なく、どんな一人ひとりも、神さまの目から見れば、大切な、かけがえのない、尊い天国の業の担い手です。私たちは皆、神の御前にあって生きる者です。神の恵みの支配の中にあって、神の大きな愛と恵みの中に立たせられている者です。神は、私たちの行う小さな良い業、優しい言葉、賛美の歌を祝福して下さいます。主は、「神の国(天国)は、からし種のようなもの、パン種のようなもの」とおっしゃいました。からし種のような小さな業を大きく成長させ、更に、広く膨らませて下さいます。私たちの全存在を新しくして下さいます。私たちを神の国の業の担い手として下さいます。大切なことは、この神の恵みのご支配の中にあって、私たちが、その傍らにある人を忘れないという事です。自分が選ばれて、ここにあり得る健やかさを知れば知るだけ、悩みの中にある人のために祈りましょう!ここに来る事が出来なくなっている人のために、共に、主の恵みの支配の中に立ち続ける事を願い求めましょう!

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2019.10.27 nk


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