主日礼拝 説教抄録  2019年度
    
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聖霊降臨節第19主日礼拝 説教 「恐れを捨てて」

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2019年10月13日

 イザヤ書40章21~26節 ルカによる福音書12章1~12節

「恐れを捨てて」 要約
① 偽善に気をつけなさい 
 おびただしい群衆が足の踏み場もないほど集まっています。主イエスは、先に72人を選んで、宣教の野に遣わしていました。帰って来た彼らの報告は、聖霊の歓喜するところとなり、イエスを突き動かした彼らの活動は前進しました。が、ファリサイ派の人々の憎悪は増大したのです。主イエスは、大勢の群衆にではなく、まず弟子たちに話し始められました。「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である」(1節)と。パン種とは何でしょうか。パン種は、形式主義、合理主義、世俗主義、体制護持、保守保身の自己中心主義等々をあげることができます。が、主イエスが指摘されたファリサイ派の人々のパン種とは、ただ偽善の一事に集約されます。その偽善は、ファリサイ派の人々が占領する「不真実の根源」ではなく、すべての人間の罪です。ここにいる全て者の罪ですし、誰よりもこの私自身の罪であって、主イエスの弟子として選ばれ、宣教に派遣される者も例外ではありません。イエスは偽善に気をつけるよう、皆に勧めています。
② 雀と人間の比較
 イエスは一人一人を見て慈しみ、愛を込めて、「友人であるあなた方、わが友」と呼びかけます。友のために自分の命を捨てる愛を説いた主は、十字架の死をもって生涯を完結されました。その主が「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない」と前置きして、弟子たちに「誰を恐れるべきか、教えよう」(5節)と、真に恐るべき方は神であると示されました。神を恐れる事によって偽善から解放されると主は断言されました。偽善から解放された者は、続く6節7節の「言葉」によって、恐れは信頼に変わり、偽善との戦いへと飛躍可能になるのです。ここでマタイの二羽の雀をルカは五羽に、一アサリオンを二アサリオンに変えています。「多くの雀よりもはるかに勝っている」罪深い人間を救済して下さる神の愛。残る一羽の雀も恩恵を受けるならば…。「雀と人間の比較」です。キリスト者には聖霊の保証において、災厄決定の場である最後の審判を救済(恩恵)の座として受容し、希望をもって告白する事が約束されているのです。
③ 恐れを捨てて
 主イエスは、怖がらせる事によって、自分の言う事を聞かせようとなさった方ではありません。恐れから人を解き放ち、またその力のもとで、ただ恐れるより他ない人々を励ますために、地上に来られたのです。恐れは、主イエスのみこころに最も背くものです。しかも主イエスは、私たちの中に、どうしても抑えようもなく吹きあがって来る恐れを、私たちの力で押し潰せなどと仰っているのではなくて、その恐れから解き放たれる道をご自分で作って下さる方です。そのためにこそ全力をあげ、全存在を賭けられた方なのです。「恐れる」とここで訳されているギリシャ語は、本来「逃げる」という意味です。日本語の辞書には「大きくそれる」「大それ」とあり、やはり「逃げる」ことを意味しています。人は、恐ろしい目に遭っている時には逃げたくなります。ひどい目に遭っている時は、そこから逃げ出したくなります。主イエスが「恐れるな」と言われたのは、「逃げるな」と言われたという事になります。「逃げるな」、「恐れるな」という言葉をルカは「思い煩うな」という意味に用いています。台風19号が上陸し、今朝6時避難勧告が出ました。恐れを捨てて、神を父と呼び続け、恐れなき思いにおいて一つに結ばれてまいりましょう。

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2019.10.13 nk


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