主日礼拝 説教抄録  2019年度
    
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聖霊降臨節第11主日礼拝 説教 「神と共に歩む」

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2019年8月18日

創世記5章1節~32節

「神と共に歩む」 要約
① アダムの系図 
 神は、最初の人アダムを創造し、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と祝福されました。これは、アダムからノアに至る系図です。彼らが知っていた事はただ単純に、神は彼らの神であり、地の創造者であるという事です。それだけで十分でした。私たちは、人類の一員として生かされることの光栄と歓喜とを、その源流である「アダムの系図」に先ず見出しましょう。次に系図には、繰り返し「そして死んだ」という表現があります。人間には寿命があるという事です。ここに登場する父祖たちの生存期間は、アダム930年、セト912年、エノシュ905年、ケナン910年、マハラルエル895年、イエレド962年、エノク365年、メトシェラ969年、レメク777年。平均847.22年。この長寿を説明して、一人の名は個人名でなく世襲名であったとする説。古代の一年は現在よりも短かったとする説など様々です。ここでは、千年長寿を生きる人は誰もいない。人類は、限りある寿命に定められ、同時に永遠から切り離された存在とされているという事です。
② 永遠の命
 私たち人類は、アダム以来、永遠の命を失いました。永遠の命を喪失したその事については、もはや、どうしようもありません。が、この系図は、もう一つ注目すべき事を指し示しています。「エノク」と呼ばれる不思議な人物の存在です。もとより、エノクは永遠に生きたのではありません。彼にも寿命がありました。しかも彼は父祖たちの中で最も短命でした。実に神に対して罪を犯した人間は永遠の命を失った。罪を犯した故に人は死の影をこの世に宿す事になったのです。それにも拘らず、「神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」と記されるこのエノクなる人物に目を留める時、今ここで、私たちは、「永遠の命」という認識を改めなければなりません。アダム以後の私たちにとって、「永遠の命」とは地上における生存期間が無限であることを意味しないという事です。「永遠の命」とは、エノクの如く、神と共にある事、常に神に従う事、どんな時も神に心込めて仕え、神の良きパートナーである事が「永遠の命」の真の意味だ、というのです。
③ 神と共に歩む
 「エノクは神と共に歩」んだ、ということは、エノクは、永遠の神に向かい合うような者として造られていることを知り、そういう神と語り合いながら人生を過ごしたという事です。そして、「神が(彼を)取られたのでいなくなった」ということは、同じく、エノクが地上的な形でその生涯を終えたとしても、「永遠の」神が、依然としてエノクをご自分の相手として、パートナーとして、取られた、という事です。エノクのように、自分の過去と現在とが「永遠の」神の御手のうちにある現実だということを、証し出来る者にしてはじめて、その将来をもまた「永遠の」神が備えて下さる現実として、受け止める事ができるでしょう。その事の保証は、新約の領域へと私たちを向かわせるのではないでしょうか。即ち、イエス・キリストの死と復活の出来事です。神は、とりかえしのつかない程に損なわれ、失われた「永遠の命」を、キリストを通して、もう一度、私たちにお与えになられた。キリストこそ真の意味において永遠の命を持っておられ、そして、ご自分を信じる者に、永遠の命を贈ろうとなさるのです。「わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない」(ヨハネ11:25-26)。

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2019.8.18 nk



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