主日礼拝 説教抄録  2019年度
    
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聖霊降臨節第6主日礼拝 説教 「力尽きる時に」

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2019年7月14日

     ルカによる福音書8章40~56節

「力尽きる時に」 要約
① 病気と死の力を制圧されるイエスの物語 
 『ルカ』は段階的に主の栄光を示します。イエスは、初めにガリラヤ湖の嵐をしずめ、次に、ゲラサの狂人をいやし、更に今朝は、主イエスが病気と死の力を制圧されます。ここには二つの物語が互いに補完して、主イエスの人格と力が示されています。近年、医療技術が進み、以前とは違って、痛まない医療が施されます。こういう医学の進歩が患者を助けるかというと、そうではありません。今まで激しい痛みとの戦いに我を忘れていた患者が、痛みがないと、余計な事を考えて不安に脅えます。以前はお年寄りが死を恐れました。今、年齢に関係なく、死を恐れます。矛盾ですが自死願望者が増えています。刻々と近づく死に向かって耐える事は大変なエネルギーが要ります。時々刻々肉体が弱る時、心がなえます。神を信じる力さえ失う事があるのです。そうならないために、今朝のテキスト、「ヤイロの娘とイエスの服に触れる女」の二つの出来事に示された主の物語の意味するところを、聖書に聞き、私たちの今日からの歩みと致しましょう!
②「会堂長ヤイロ」と、「無名の女」
 「会堂長」は各地にある会堂の管理・運営の最高責任者です。人々から信頼と尊敬を受ける有名人です。彼に「12歳位の一人娘がいた」。当時12歳は嫁にやれる年です。娘がここまで育って愛らしくなった。その娘が突然、死に瀕する病で今、死にかかっている。もはや、イエスにすがるしかない。彼は主のところに来て、「イエスの足元にひれ伏して、自分の家に来て下さるように願った」。イエスが応えて、そこに行かれる途中、「無名の女」(12年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、誰からも治してもらえない女)がいた。会堂長ヤイロにとって娘の成長の喜びの年月が、女には真逆。苦しく辛い12年間を必死に耐えた。女は、後ろからイエスの服の房にちょっと触れると、直ちに出血が止まったではありませんか。群衆の中で、誰にも気づかない触り方をしたのでした。が、イエスは知っておられました。「女は、隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまち癒された次第とを皆の前で話した」。
③ 力尽きる時に
 この女に主は言われました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」。会堂長に主は言われました。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる」。まるで、主ご自身が、信仰を言い表しておられるかのようです。「会堂長」は初め、「無名の女」を妨害する者としか見えなかった。しかし今、彼女のおかげで、彼は目の前で主の「いやし」と女の「信仰」を見、聞くことを許されました(47節)。信じるというのはこういう事だと確信できました。力尽きる時の、辛い、あせりといらだちは、会堂長ヤイロの中でだんだん静められ、消えていき、主から頂いた言葉は、会堂長によって、素直に受け入れられたのです。女も同じでした。難しい病気になって、優しかった親から「もう私の娘ではない」と縁を切られてしまった。親切だった友人たちも、一人去り、二人去り、私を見捨てて離れてしまった。医者も「金の切れ目が縁の切れ目」と無視してしまう。が、主だけが、こんな私を「娘よ」と呼んで下さる。しかも「あなたの信仰が…」とおっしゃって下さる。これからもずーっと。肉体が弱る時も、心がなえる時も、共にいて下さる。この確信が私たちを生かします。与る食卓を祝して頂きましょう!

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2019.7.14 nk



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