主日礼拝 説教抄録  2019年度
    
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復活後第7主日礼拝 説教 「ペトロの説教」

日本キリスト教団茅ケ崎堤伝道所
2019年6月2日

    ヨエル書3章1~2節 使徒言行録2章17節

「ペトロの説教」 要約
① 最初の教会に始まったこと、二つ 
最初の教会がエルサレムに生まれた時、町の人々に「恐れ」が生じました。これまで経験したことのないこと、自分たちの考えでは説明がつかないことに出会うとき、まず、私たちの内には恐れと不安が生じます。が、その「恐れ」は「畏れ」に変えられます。弟子たちの内に、神が生きて働いておられることを知った人々は、日々彼らの仲間に加わるようになりました。最初の教会に始まったこと、それは何だったのでしょう。その第一は、彼らが心を一つにして集まった事です。現代は分断と孤立の時代だと言われます。しかし、教会はその始まりから今日に至るまで、日曜日に集まり続けることによって、その命を継承して来たのです。第二は、分かち合いです。教会は交わり(コイノニア)です。良いものも、汚れも共に担い、引き受ける交わり、その真ん中にイエス・キリストがいて下さるのです。分け隔てと敵意に満ちた世界の真ん中に、心を一つにして集まり、分かち合いに生きる教会があり続ける事、そのことが人々に希望を与えたのです。
②若者は幻を見、老人は夢を見る
 12小預言者の一人であるヨエルは、イスラエルの民が悔い改めて神に帰るように勧め、そうすれば栄光と祝福を得るだろう、と説いています。そして、「その後、わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る」と預言したのです。使徒言行録2章を読むと「ペトロは11人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた」とあります。イエスが逮捕された夜、おびえ怖れていたペトロは、聖霊が降った日、人々の前に立ち上がる勇気を与えられます。しかも、彼は一人ではありません。ヨエルの言葉を引用して説教します。「老人は夢を見る。」過ぎた日々を思い起こし、自分の終わりを見つめつつ、なお絶望することなく、永遠に変わることのない真実を望むことの出来る人は幸いです。「若者は幻を見る。」若者が希望を持つことができない時代は、不幸です。現代はそのような時代であるかも知れません。しかし、にもかかわらず、勇気をもう一度与えられて、ビジョンを持つことが出来る人は幸いです。
③ ペトロの説教
 ペトロは説教して、「イエスが救い主キリストである」と繰り返します。ヨエルの預言を通して、イエスがキリストであるとは、人間のもつべき「幻であり、夢である」と力込めて語っています。人間の知恵では分からない真理です。聖霊が注がれる時、はじめて見ることができるものです。私たちはこの地上のことに目を奪われがちです。地上の事に目を奪われると天の事が分からなくなり霞んできます。すると、一つの言葉で嘆いたり、怒こったり、悲しんだりする事になります。地上の雲がかかってくるからです。地上の雲を抜けて向こうを見るのが、幻です。若者はその幻を見て、神がどんなに私たちを愛して下さっているかという事で心が満たされ、神に期待するようになります。明日の老人は、今日の若者です。今日という日は、残された人生の第一日目です。単に流れて行く歴史の中の一日という事ではありません。主にあって生かされて歩む、信仰の歩みにおける第一日目です。あなたは神によって生かされています。若き日には若き日の使命と意味があり、老いた日には老いた日の使命と意味があります。人生を神に期待して生きましょう!いつも喜び、絶えず祈りましょう!聖霊の注ぎを待ち望みましょう!次週はペンテコステです。

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日本キリスト教団 茅ケ崎堤伝道所
牧師 三原 信惠
 更新:2019.6.2 nk



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